詩集「小鳥にもなって みみずにもなって」
立原昌保 著
春の光がいっぱい
春になると ぼくは
出口を探し始める
力いっぱい出口を探し始める
光いっぱい
家畜になり
花になり
苔になり
波打ち際の水母になり
さまざまな「時」をひとり工夫しながら
ぼくは
出口を探し始める
まるで空いっぱい眩い出口を懸命に啄んでいる
小鳥にもなって
*
晴れ渡った春の空を
出口を探して這いずり回っている ぼく
あらゆる力を振り捨て
家畜をなぞり
花をなぞり
苔をなぞり
波打ち際の水母もなぞり 光いっぱい
目に見えないさまざまな「時」をなぞりなぞり
這いずり回っている ぼく
屈み込んでいる奴ら
蹲っている奴ら
蹴散らし
光
茫茫
そんな風景を
みみずになって
出口を探して這いずり回っている ぼく。
正午
既に
亡霊は
すっかり軍勢を整えあたりに充満し
ぼくに照準を合わせている
無数の銃口が
見える
ぼくも
銃を構える
正午とは
ひとりっぼっちの狙い撃ち
無数の亡霊たちの狙い撃ち
路地という路地から溢れ出た
亡霊たちの
狙い撃ち
そう
何事も起こってはいないのだ
地の果て 天の果てまで
日傘が揺れ
叫びが起こり
蝉は黙し
野犬が跳ね飛び
口を開けたまま死んで行った
あの骸はいったい誰のもの?
足音が絶え
ぱたぱた
最後の一人が絶え
ぱたっと
絶え
やがて
大地(つち)は天となり
天は大地(つち)となり
果てしない静けさの
(百日紅ばかりが燥やいで……)
ほむらの中で
息
途絶えている
「時」の無数
正午は
終わりの刻を亡くした
曝されたままの
亡霊の
リアル・タイムの反乱である。
*詩集「小鳥にもなって みみずにもなって」
発行 白地社 定価1800円
あふれる光の沈黙、見え隠れする影、瞬間。そういった視覚的な情景として、生命という抽象が詩として定着されている。そういう意味で、絵画的な魅力ある詩群です。