講中
仁科理
受話器をとってみると
母からの電話だ
講中の吉次さんが
朝方死んだという
香典を送れという
その前に弔電を打てという
香典も弔電もお前の名前で、という
それから話はくだくだしい声で
生前の吉次さんの思い出がつづく
憶えているかともいう
出勤前のわたしはバスの時刻が気になって
受話器をおく時機をはかりはじめる
吉次さんの話が一段落すると
わたしの家族の安否をたずねてくる
そして元気であればそれでいいという
香典と弔電は
わたしが講中の一員たる証だから
失念するな、という
わたしはしたたかに縛り付けられている
一五〇〇kmも離れた講中にだ
しかも電話一本でだ
縛り付ける者と縛り付けられる者と
受話器をもつ指の感覚が鈍くなる
念仏のような母の声に引きよせられながら
わたしは一人の男を思い出す
山田新左衛門知行所□□□橘村名主栄右衛門、
奉申上候、村内百姓□兵衛後家□□倅□平十
身分之儀、御尋ニ御座候
此段、平十儀平日身持不宣、親類・組合・村役人
度異見差加ヘ候共不取用、遊歩行宅内ニ不居候ニ付、
後難を恐れ、実母親類組合村役人相談之上、去申ノ十二月
勘当帳外仕候ものに御座候、
右御尋ニ付、少しも相違不申上候、以上
天保八年西□月四日
□□□知行所
橘村
名主 栄右衛門
*「木偶」45号 小金井市本町4-8-751、小岩方
*「縛り付け」と感じること自体が、すでに希薄化をあらわしているのかもしれない。
僕たちは天保八年から遠く隔たっている。