壊れゆく風景 杉山信夫

福屋米穀店 ヒッチハイクで大阪まで来た17才の永山則夫 は、梅田駅で四国の米屋に声をかけられ、守 口の福屋米穀店を紹介してもらった。1966年 の1月から6月まで月一万五千円の住み込み で働いていたあいだに戸籍の提出を求められ 取り寄せたところ、網走市呼人番外地の記載 にショックを受け店主に渡すことができす、 かえって不信に思われる。65年からヒットし ていた映画網走番外地シリーズのイメージで 刑務所出身と思われるのが嫌だったのだ。 京阪守口市駅前周辺は再開発ですっかり変わ り、福屋米穀店も立て替えられて元の場所か どうか分からない。1969年19歳の永山則夫が 広域108号事件で逮捕された直後に彼の移動 していった場所を撮った『略称連続射殺魔』 という映画に当時の守口市駅前周辺が映って いる。風景だけが移動していくこの映画には 魂の欠落したものだけが風景を発見できるこ とを教えてくれる思い出の無い処に故郷はな い(小林秀雄) 竹中労が同じころ鹿児島から集団就職で大阪 に来た森進一の軌跡を追っている。65年3月 十三駅前すし屋『一花』に一ヵ月、平和発条 五ヵ月、南常鉄工三ヵ月、レストラン花ぶさ 一週間、大衆割烹『浜や』一ヵ月、丸武運送 一週間、バー『青蛾』五ヵ月。彼らの移動は 早すぎてまだ追いつくことができない。
飛田東門 空中家屋 飛田遊郭のドン尽きは谷町台地の壁、通称嘆 きの壁だ。 本当に上は天国でこちらは地獄なのだろうか。 「人はスラムというけれどここは天国釜ヶ崎」 と歌ったのは秦英二こと三音英二。97年8月 3日スピード違反の取り締まり車に放火して 逮捕。同じ日に釜ヶ崎で人生を終えたのは池 田和子こと一条さゆり。最後までストリッパ ーヘの返り咲きを信じて炊き出しに参加して いた。 まさしくこの壁こそは釜の底と管理社会がせ めぎあう前線であり、竜神によって守られて いる無名大衆の橋頭堡なのだ。 この壁に信じられない接地面をもってへばり ついてたのが東門飲食街である阿倍野側に向 いてはいるが、建物自体は崖下のつっかい棒 の上に建っている。しかも上にいくはど居住 面積が広がっていくという恐ろしい代物であ る。 写真はクリーニング屋だったか。確かに空中 に人の生活が存在していたのだ。壁に沿って あった白竜は伏見稲荷にもっていかれ、天竜 はお山に帰った。黒竜だけが山王の崖に残っ ている。のたうつ蛇と竜がかろうじて堰き止 めていた災厄が都市を浄化する日も近い。

*2001年4月1日発行
著述 杉山信夫(散歩派とその周辺)
撮影 杉山信夫・笹岡茂彦
編集 自力出版者

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