2001年の夕暮れ
モリタクミコ
リルケを見る
きのうは、阿倍野の立ち飲み屋に行った
あのあたりでもことに安い、いつもの店で
夕方といえ蒸し暑い中
冷酒でもない、ひやっともしない、ぬるいひや酒を
飲んでいた
値段のわりに
暑くてもスーツを着た客層は
JRで数駅さきのS電器の社員なのだろうかと
ながめていると
店主が話しかけてきた
「モリちゃん。
奥のお客さん、ほらあの人、
やっぱり詩を書いている人なんだって」
見るとそこにはリルケが
薄いマグロの刺身をつついていた
向こうが皿と箸をもって
となりへ移ってきたものの
リルケを読んだのはいつだった?
そう、「若き詩人への手紙」
あなたの夜のもっとも静かな時刻に
心のもっとも深いところをしらべてごらんなさい
だったかな
店主はまたこちらを向いて
「いいねえ趣味のある人は。話もあうでしょ」
とテカテカの顔で笑っている
その夜
リルケがあんまりすすめるので
私も一人で降りてみた
家族が寝静まった夜
災害時用の縄梯子を用意して
心の底の入り口は
マンホールそっくりの丸い鉄の蓋だった
少しずらすと湿った空気が立ち昇った
時間をかけて動かした蓋に梯子を結びつけて
降りていくと
水が流れる音もする
どんな水が流れているか不安だけれど
朝には帰っていたいので
単調な道のりを気にせず進もう
「とにかく、とにかく、深く、深く」
と唱えていると
サクっとスニーカーが砂地についた
梯子の残りがとぐろを巻いていた
銀行の灰皿に入っているような白い砂の地面には
水の音もしなかった
リルケのときと違って
「書かなくては生きられない」なんて書いていなかった
指で線をひいてみたらサラサラとくずれていく
「きたよ」と書いて戻ってきた
帰りはもう水の音はしなかった
リルケにはまた飲み屋で話そう
*砂地の底で、もう少し待って、耳を澄ませていたら、何か聞こえたかもしれないのに、と思う。
ともかく、心の底の入口は、心の中にはない、ということだ。それは阿倍野銀座(!)にある。そこの飲み屋にはリルケがいて、言葉を交わした瞬間に
、そこがマンホールになり、情景(心)に穴が開く、ということだ。さあ、ちょっと小便臭いが、アポロビルの裏手あたりを歩いてみよう。