マルセイユ駅前、午前10時           下前幸一

急ぎ足で歩道を行き交う朝 マルセイユ駅前、午前8時 コーヒーカップを傾けながら 僕は眺めている なんということもない、ひとつの朝だ 新聞を広げて駅前の階段に座り込んでいる黒人 大きな荷物を両腕いっぱいに抱え込んで 立ち尽くす出稼ぎのアラブ人たち でっぷり太った身体を傾けながら 近所のかみさんが行く 気難しい顔をした白髪のおばあさん メルシィ ムッシュウ 言葉が通り過ぎていく 「オランに4年、アルジェには9年 … 」 フェリーで一緒だったパレスチナ難民の教師は 首尾良くタクシーの職にありつけただろうか 別れの握手を交わしたとき 彼の手のひらの強さが忘れられない 僕の背後に彼は ヒロシマやコーゾー・モト(岡本公三)を見たのだろうか 彼のレボリューションが生き延びて やがて成就すればいいと、心底思う サハラ 焼けた瓦礫と耐えがたい渇きと 長い 長い待機のとき マルセイユ駅前、午前9時 朝が 通りすぎていく ジークボックスが音楽を鳴らしている 情景は自らを運んでいく アルジェリア 感情の 過酷な石よ 何事も確定したものはなく 思い出はすでに喪失のただ中にある カフェテリアのテーブルに立ち止まる一刻 僕は詩のことを考えている それぞれが持ち前の朝にいる それぞれのリズムが自らを卑下したり また尊大にもならないように マルセイユ駅前、午前10時 今僕は旅の中途 言葉が 通り過ぎていく

*パリ、マルセイユを経由してアルジェリア領内のサハラを旅行したのは、もう15年
近くも前のことになる。その旅行を思い返しながら詩を考えている。思い出を綴るとい
うのにはもう十分に遅すぎるほどの年月が過ぎた。すでにもう詩の体裁をとった旅行記
にはなりようもない。いやおうなしに歳月と現在がせり上がってくる。そして表現とし
ての詩そのもの、言葉そのものが。なにができるか、なにもできないか。楽しみながら
やっています。この詩はそのひとつの報告のようなもの。

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