詩集「ぼくから離れていく言葉」
松岡政則 著
そいつが俺だった
いつか帰る日が来たら
そんなヤワな捨て方ではなかったのだ
俺たちは一度も振り返らずに
〈仏様の階段〉といわれた棚田を
箕作りの技術を捨てた
回覧板がとばされ
役場にも追い返されたムラの空を
断固として捨ててやったのだ
〈今後一切立ち寄ることも許さぬ〉
大杉の根もとで
皆でそう誓い合った
ボウボウと草に覆われ
土の表が
点在する家々がみどりに沈むまで
地名さえも地図から消されてしまう日まで
それは捨て続けるということだった
道打ちなどの惣事も
不断に響きわたる沢の音も
捨て続けるということだった
俺たちは朝もやの中
それこそ泥まみれ血まみれになって
自らを根こそぎ引き抜いたのだ
隠し事のない
バスも入らない清潔な土地を
たった半日で捨ててやったのだ
家財道具などといっしょに
半身が利かないオバアらを乗せたトラックが先に発った後を
〈振り向くんじゃないぞ〉
〈何も拝むな〉
と号令を飛ばし
行行と峠に向かったのだ
むき出しの命そのもの
過去帳で確かめるまでもないあまりにも直線的なその足どり
明日などどうでもよかった
どんな土地でもかまわなかった
畏きものの乱舞
荒ぶる声が
ムラじゅうに谺しても
決して立ち止まることはなかったのだ
〈もっとしっかり歩け〉
どんな事象があったかなど知る由もない子供らも
ゲンコツを恐れて必死についていったのだ
たぶん黒板にらくがきされ
合唱されたそのことだろうと直感しながら
そうやってヤマユリの道を
サルナシやシバグリの木を
背中で捨てながら歩いた
ムラを捨てる
ただそのためだけに歩いたのだ
何も逆らえるはずのない子供ら
それでも中に一人だけ
チラッと振り返ったのがいる
積乱雲
ぼくはまだ
どこにも行っていない
何もしていない
空をこわしたことがない
あなたに触れたことも
雨の降る夢をみたこともない
ぼくは一度も弥陀を赦さなかった
それだけが密かな誇りだった
川なんかみなかった
もう何年も走ったこともない
ノイズの街で
ぼくはぼくであったことがない
黄ばんだ言葉を並べ替えているだけの
いやそれはいい
そんなことはどうでもいい
ぢりぢりと夏だった
母の納骨だった
茂みからむっと草いきれがして
やぶるようなセミの鳴き声だった
その時ぼくははじめて裏山の向こうの空を感じた
自分が誰も憎んでいないことに気づいてしまったんだ
吐き気がした
奴等の血が混じってしまったのか吐き気がした
川底までもぐり込んだ山なみと
捨てられた真竹の薮
ただそれだけの土地に
ぼくはぼうぼうと立っていた
*詩集「ぼくから離れていく言葉」
発行 澪標 大阪市中央区船越町1-6-2-403
*とても濃密で、質量のハッキリとした記憶の中の光景。差別され、棄てられ続けた者たちが、生き延びるために、
自ら自身にめぐらせた強い〈掟〉。捨てること、拒絶、逃亡は、集団的な意思として、個人をのみこみながら、うごめき、
走る。
その中で「チラッと振り返った」子供、そいつが俺だった。
彼はその時、何を見たのだろうか。住む者のいなくなった、カラッポのムラの、見えない磁場のようなものだろうか。
「捨てること」は決して成就しない。それはいつまでもいつまでも「捨て続けること」でしかない、ということ。
そして、今、彼は「チラッと振り返る」ことを、自分の意志として、詩の方法として、つかもうとしているのかもしれません。
「抑圧された者たちのあるかなきかの声を、言葉にすれば自らも血を流さずにはおれないような孤独の語を、
都市の陰裂に突っ込んでやるのだ。そういうことだ。〈乾いた抒情〉にも〈醒めた孤独〉にも、ぼくは飽き飽きしているということだ。」 (あとがき より)