詩集「みち」 庄司文雄 著
はたけ だったんだ
ブルドーザーが
葬送のうたを唄い
製紙工場の煙突から
海に向かって野辺送りの煙が流れる
六月の空は泣き出し
新設された二十五メーター道路を
車の群が行き交う
あの日
湿った黒い土から
ガイアの息吹きが立ちあがり
妊娠した春取り白菜が笑い
トマトは敷藁の上で伸びをはじめた
光の微粒子が 静かに しずかに 舞う
とろーり たらーりら とんとんとん
稲扱き場の前の
でこぼこになった小さな庭に
洟を垂らしたタカシと
犬の嫌いなジュンと
優等生のコウちゃんが居て
うまとび かけっこ おにごっこ
うしろの正面だあーれ
風は伝道者になって
しっぽを振るジョンに
寝ぼけまなこのミケに
海の優しさを伝えていた
……うねうねと はたけ だったんだ
爺々つぁま いくさに とられたんで
朝から晩まで
まるこぐなって働いだ
体に ヤスリをかげだなや
あーあ こどばになんかなんねえよ……
負った哀しみに
弓なりに曲がった背中
老婆の霞んだ目に いま
何が映るのか
村は冷たく小綺麗な街になってゆく
〈百姓でなんか喰っていげねえよ〉
打ち込まれたパイルに
悲鳴をあげる土
里芋の葉から ひと雫の涙
……くらしてみれば ゆめのようだなあ……
風景
茶店のおばさんが「淋しくなったね」と一言呟いた。北上
川の流れが海に注ぐ河口の街。潮風にはこばれて、水産加
工場の鼻を衝く臭いが、体に染まり、荒くれ男たちが大股
で行き交っていた。
アーケードの架けられた通りをわたしたちは「まち」と呼
んでいた。夏祭りの人いきれでごったがえすその通りを、
人の波をぬうように橋通りまで歩いた。露天商のオヤジの
シャツの袖から見え隠れするイレズミを気にしながら、金
魚すくいをし、ヤドカリを買った。あやしげな店があり、
ガラの悪い高校生たちがたむろし、ケンカがあった。ガサ
ツで品がなく、荒い言葉ばかりが飛び交う。
わたしがいつしか、この街を憎み、捨てたいと思ったとき、
ひとびとの熱は〈生きることはざわめくことだ〉と語って
いることに気づいた。
あれから何年が過ぎたのだろうか。いま、ひと通りが絶え
た「まち」に雨音だけが聞こえている。店々はシャッター
を閉じ、色のはげた看板だけが、はずかしそうに立ってい
る。「まち」の風景にとおい日のおもいをゆだねれば、風
景はわたしを拒絶して、朽ちてゆく姿の意味を問い返す。
「時代が変わったんだね」と老女は茶店の縁に掌をかけ語る。
その眼差しの向こうで、河の流れは変わることのない意志
のように、きょうも海に注ぎ込んでゆく。
*詩集「みち」 発行:矢立出版 横浜市磯子区新杉田町3-1、4F
*高度成長によって失われていった風景。63年生まれの庄司さんの喪失感は、
僕にもまた切実に響いてくる。
〈生きることはざわめくことだ〉という言葉のキーによって、喪失の向こう側へ、
何かをひらいていくことができるだろうか