詩集「金色の翼に乗って」
水口洋治 著
しばしのやすらぎのために
鐘が鳴り
角笛や小鳥のさえずり
うすもやが大地にかかっていくように
ぼくらは歌いはじめる
よみがえるだろう
まさに 汝はよみがえるだろう
しばしの憩いののちに
ひろがっていく霧
ぎりぎりの ピアニッシシモで
大阪城ホールの空間に
コーラスがひろがっていく
クシャッとつぶれていた家々
両手と両足を突き出して
柱をかかえるように死んでいたという画家 津高和一さん
梅田の喫茶店で見せてもらった崩壊した津高さんの家の写真
何がおこったのかも分からず
いつまでも開かない地下鉄の駅の扉にとまどって
僕が何度も駅と家の間を往復していた間に
彼は伊丹から先生の安否を気づかって
自転車で西宮まで走ったと言ったのだ
おお固く信じよう
何ものも失ってはいないことを
あこがれたもの 愛したもの 得ようとしたものは
すべて 汝のものなのだ
僕はたまたま生きている
僕らはたまたま生きていて
震災の死者のために マーラーの「復活」を歌っている
信じよう
汝が無為に生き 死んだのではないことを
生まれるものは すべて滅びなくてはいけない
滅んだものは すべてよみがえらねばならない
僕は天上を見上げる
僕は歌を祈りとして歌う
歌は生きているものと 死者とをつなぐ
歌は悲しみと喜びとをつなぐ
歌は苦悩と愛とをつなぐ
数えるくらいしか会ったことのない津高さん
一度も会ったことのない多くの死者の人々よ
ホールに立ち上がっていくオーケストラとコーラスの響きが
しばしのやすらぎをもたらすことを
祈って歌う
※引用の詩はマーラーの交響曲二番「復活」にとられた
クロップシュツックとマーラーの詩を訳した
僕らの舟
コンサート・マスターが立ち上がると
オーボエが音を出す
弦楽器がチューニングをして
続いて管楽器
合唱団の一番高い席から
僕は見下ろしている
ホールが暗くなると
指揮者が現れ
ソリストたちが席につく
指揮者が指揮棒を取り上げると
僕らは立ち上がる
ライトに照らされて
いつものように演奏が始まる
僕らはいつからか
歌を歌っている
歌いながら 舟をあやつっている
力をあわせて
帆をあげ 帆をたたみ
風をはかり 星を見ている
風と光が
道案内をしてくれる
歌の神様が
歌い続ける舟をまもってくれる
大波や
嵐からも
そのうちに
星は輝き出し 風がやってきて
舟は進路を見いだすのだ
そして
僕らは歌い続ける
拍手がおこる
「ブラボー」という叫び声
僕はホールを見下ろしている
指揮者やソリストが退場しては現れる
なりやまぬ拍手
コンサート・マスターの合図で
僕らは立ったり座ったりする
なりやまぬ拍手
僕は舟に乗っている
*詩集「金色の翼に乗って」
発行 竹林館 長岡京市市井ノ内坂川25-21
*大阪の天王寺で毎月行われている「詩を朗読する詩人の会」の、最近の会が、作者の水口洋治さんがゲスト
で行われました。そこで水口さんは、演奏のテープをバックに、この詩集の全編を朗読されました。
詩集は、副題として、大阪フィルハーモニー交響楽団詩集とあるように、合唱団生活をふまえた音楽作品になっています。
歌詞の引用が、所々に効果的に配置されていて、基調としての演奏の響き、調べを表現しています。
その基調の上に、さまざまなエピソードや、作者のふとした思い、考えが語られ、ひびきあっています。
一冊の詩集自体がまた、ひとつの演奏曲でもあり、演奏会のようでもあります。