詩集「向井孝の詩」
出征
しいんとあかるい夏空の下を、みんな汗をふきながらぞろぞ
ろつづいていった。
横むいてしゃべったり、追いこして話しかけながら、小旗を
もった近所のおかみさんたちや子供ががやがやあとにつらなっ
た。
赤だすきをかけた夫が子供を抱き、会社の人とはなしをかわ
しながら先頭をあるいていた。
列の中ほどで誰かがひとり、とんきょうもない大声で軍歌を
うたい出してやめたあと、ほこりっぽいやけあとみちを、じり
じり朝日にてらされて、みんなしだいにだまりこんですすんだ。
すれちがう出勤時のひとたちが大急ぎで追い越しては、ふり
むいて見送っていた。
駅へつくと、しばらく夫をとりかこんで、だれかれとなく手
をにぎり、かたをたたいてあいさつをかわした。
やがて、声をあわせてみんなで進軍歌をうたい、何度もくり
かえして、一せいに万才を叫んだ。
いつまでも汽車がこず、てもちぶさたで柵にこしかけたりす
わりこんでしゃべっていた。
再びよってきて、もう一度万才をさけび、そのままちりちり
ばらばら帰りだした。
自分と子供だけがプラットホームにはいり、やっとはいって
きて発ってゆく汽車の姿を、見えなくなる迄みおくった。
子供の手をひいて駅を出てくると、あたりに人影もなく、か
すかに明るい空のどこかで警報がなっているようだった。
影ひとつない焼野原をよこぎり、かわききったやけあとみち
をひっそりわが家へもどってきた。
戸をあけるとバラックのなかはうすぐらくしいんとしずまり
かえっていた。
子供の服をきかえさせ、台所へおりてゴクゴク水をのみ、し
ばらく敷居に腰をおろしていた。
昼じたくのコンロの火をおこしかけながら、気づくと、子供
はどこかへあそびにでかけて、もう自分ひとりぼっちになって
いた。
一九四七年十月
しろい背中
ソン・サンジンが死んだ。
宋相振!
※
その名前は、ぼくが広島のデモにいったとき、
ぼくの背中にかかれた文字だった。
デモの出発点、平和公園原爆の子の像の前で
順番に「これ」と渡されて受けとった
ゼッケンに書かれた名前だった。
養蜂業。元人民革命党員。ソン・サンジン。
たゞそれだけしか、五五名の一覧表には説明がない。
ぼくの智識はそれだけ。
宋相振 46才 死刑。
そのプラカードを掛けたとき
ぼくの背中は熱くなった。
そのときいきなり、ぼくはきみになった。
ソン・サンジン!
※
韓国軍法会議で死刑判決をうけた九人。
無期の二○人。十五〜二○年懲役の二六人
あわせて五五人の政治囚。
都礼鐘。ト・イエジョン。 50才。
河在完。ハ・ジェウァン。 42才。
李鉄乗。イ・チョルビョン。 36才。
ぼくらひとりひとりは、白い上衣に青いズボンの韓国衣装をつけ
名前をかいたプラカードを吊して並んだ。
デモの指揮者K君は、軍服を着た朴大統領に扮して大声でどなった。
「ヤイヤイ、さあ歩け、歩きだすんだ」
ムチがひゆうと耳許で鳴った。
ぼくはデモの先頭だった。
しっかと腕組みをし、天をにらんで、
ゆっくりゆっくり、大股で歩き出した。
ソン・サンジン!
きみならきっとそうしただろう。堂々と――
そのように、ぼくも。
※
きみには聞こえただろうか。
広島で一番賑やかな本通り商店街アーケードの中ほどで
ぼくは声をかぎりに叫んで、舗道に坐りこんだ。
「アイゴー」
ぼくの知ってる韓国語は、それと、「オンバー」と「キムチ」ぐらいなのだ。
すると、思いがけず、後方から
一せいに唱和がおこった。
ふりかえると、二メートル間隔で
ずうっと続いた白い上衣が
人垣に囲まれて、はるかまで、小さく坐っている。
響鳴が消えたあと、奇妙なしずかさが支配した。
その一刻、ぼくはきみだった
きみはぼくだった。
たしかに、きみはぼくのなかに来て、
そこに坐りこんでいた。
※
それから七ヵ月。
ソン・サンジンがとつぜん処刑された。
他の七人とともに。
四月九日、牢獄から引き出されて
そのまま死刑台へ歩いていった、ソン・サンジン。
それは、朝か、昼か、夕方か、
そのとき、ぼくは一体何をしていたのだろう。
※
四月八日。夕刻から大和郡山へSさんの見舞いに。
帰宅後、ガリ切り。
四月九日。午後、姫路ユキ。買物して母の夕食つくりと洗濯。夜テレビ。
四月十日。午後三時天王寺着。ふう子さんを呼び出して、天王寺公園サンポ。
一合ビンとすしを買い、美術館よこの一本だけさいている桜の下で花見。
四月十一日。戦前のアナキスト林隆人さんのお通夜。深夜二時ごろかえって、ハガキ十通ほどかいて出す。
※
ぼくが、人と出会って、道ばたで立話ししていたとき、
それとも列車で、文庫本をよみながら、うとうとしていた間に
きみは既に、息絶えて、台架の上に横たわっていたのだろうか。
あのデモで、ぼくの背に刻まれたきみの名前は
もう、ない。
あのとき――きみだったぼくは――何時いなくなってしまったのだろう。
ぼくがきみのことを
ちょっぴりも思い出すことがなかった、長い間――
思えば、ぼくの背中は、とっくの昔にきみの名前を消して
まっしろになっていた。
もう、これっぽっちの関係でもなかった
ぼくときみ!
だから、ソン・サンジン
どうしようもなく黙ってきみは
死なねばならなかった。
たゞ、しろい背中を、ぼくに残して……
一九七五年七月
96年10月号より
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