詩集「食物記」                     西杉夫 著

タンメン

やっぱり黒服がいいんだろうな、 詩人K子のつれあいであるほかは わたしにとって遠かったS。 いつもの一式を身につけ よごれた雪の残る町に出る。 タクシーを降りたそこまで 読経らしいのがきこえてくる、 これでよかったわけだ、 元日共の独立遊撃隊長だったにしても。 線香と人いきれから外にのがれると 同じように黒い男女が 陽だまりで体をゆすっている、 たまにクルマが通ると 垣根によって避けながら。 なんでもすりつぶして食べさせるんです、 はうれん草と魚と豆とで ほら、こんな色になるんですよ。 Sがそのどろっとしたのをのませると、 K子ののどがゆっくり動いて わたしをちょっと見た、 いや、そう思っただけだったろう、 なにひとつわかりはしないのだ。 味つけも工夫しているとすすめられて 口をつけてみたが、 これはどうにもわたしの好みではない。 だがK子が生きているのは、 その口にこのどろどろを何年も Sが注ぎつづけてきたからだ、 若い日に火炎ビンをにぎったその手に スプーンをもって。 ノコギリの目立を長く業としながら 壮大な夢をつむいでいたらしいSの頭脳は わたしの理解を絶するが、 死んだその日までK子を世話しようとしたという 七七歳の意志の その底知れないはげしさを思う。 室内がざわめいて 棺が運び出されて消えると 人々がゆるく散りはじめる。 駅まで遠くはなさそうだ、 ただひとり病院で K子が横たわるこの町を歩いていこう、 中華屋ぐらいはあるだろう、 タンメンを食べていこう、 かためでふとめのもやしを さくさくとかみきりたい、 しっかりしたスープがほしい、 あたるか、はずれるか、 遠く赤いのれんが見える。

 旅館主N君

胃はすっぽりとって 十二指腸をひっぱりあげたという。 やんちゃな精悍はうすれて いささか仙人の風貌だが、 それにしてもよく飲むものだ、 いったいどこへ流れこんでいくのだろう。 若い日に同じ場にいて 六十代なかばをこえたいま、 またみんなが集まっている。 文学が変わる予感につき動かされて そこにいたというほかは まとまりなんかありはしなかった。 自死がいた、 血のとびちったノートが開かれていた。 仕事がえりに門前で倒れたきりになったのがいた。 いろんな死に方、 そして時代のいろんな生き方が、 わたしらを待ったのだ。 だが病後の旅館主N君、 温泉の力を弱める濾過をこばんで毎晩、湯をおとし 朝4時に自分で原泉の栓をあける、 漬物のつけ方ひとつにも目を配る ― 大ホテルの目立つなか、 二階だてでこんなことをくりかえす流儀の 根っこのところは おたがいわかりすぎるほどわかるのだ。 ひるま歩いた出雲の空は 底知れない青さにみち、 神魂(カモス)神社の巨大な柱は さわやかに古びていたが、 むろん神はいない、 いないままに仲間も さらに減っていくだろう。 その過程のあまりに明るい一日が暮れて にぎやかな酒がまだおわらないが、 それにしてもN君、 活オコゼの歯あたりはよかった、 手でもんでふりかけるだけの板ワカメの かざらない味わいは病みつきになりそうだ。

*詩集「食物記」
 発行 皓星社 東京都杉並区阿佐谷南1-14-5
*歳月の風化にさらされ、崩れそうになりつつも踏みとどまる精神の鈍い光が魅力的です。 また、ぶよぶよではない硬い弾力のあるユーモアが、詩の意思とでもいうものを強くあらわしています。
*先日、8月号で紹介した草津信夫さんの詩集の出版記念会と、プロレタリア詩人の田木繁の会と、連日 ご一緒させていただきました。新日本文学会の大先輩でもあります。二つの会合とも戦後日本共産党の、共産党の歴史からは 削除された山村工作隊とか武装闘争に関わってこられた方々の世代が多くて、なかなか話には加われませんでしたが、 旅館主N君という詩などは通じ合う雰囲気を伝えています。歯ごたえのある老年(失礼?)を生きておられ、とても魅力を 感じました。

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