セブ島ODAの現場から  下前幸一

 風はどぶ泥の臭いがした。  フィリピン、セブ島のアルムノス地区。掘っ立て小屋のような高床 式の水上家屋が並んでいる。竹板を並べた通路を、僕たちはへっぴり 腰でたどった。通路の下は、ヘドロの堆積。いつか取材に来た外国人 が、足を滑らせてヘドロまみれになったとか、そんな軽口を叩きなが ら、僕たちは心のどこかが重く沈んでいくのを感じていた。  仕事のない男たちは、あてもないまま立ちすくんでいた。小屋の入 口に座り込んで、ぼんやりとした視線を浮かべたまま動かない女。ど うしようもない澱みや腐敗が、暮らしの足元から忍び寄り、どうしよ うもなく萎えて、屈折していく意志や気力というものの気配が、何も 知らない僕たちにも感じられた。  コミュニティーの代表は、訥々と窮状を語った。彼ら漁民たちにと って庭先であり、また生活の糧でもあった海が埋め立てられて、生活 ができないこと。子供は学校に行かせられず、スリや売春、麻薬がは びこっている。セブ市からはこの数年来、形だけの食料支給がされた だけで、何の保障もなく、逆に、市からの借金で暮らさざるをえない こと。かつての漁民たちのコミュニティーは、その生活基盤とともに、 人間関係もひっくるめて、スラム化しているようだった。  竹板の通路をたどって、僕たちはかつての海に臨んだ。数十メート ルの海(水路)をはさんで、巨大な埋立地が広がっていた。甲子園球 場の83倍ともいわれ、埋め立てと湾岸道路の建設とで、総額300 億円規模の円借款が行われている。埋立地は輸出加工区として開発さ れるのだという。工事、建設は、東洋、丸紅、東亜、大成などの日本 企業によって受注された。日本国民の税金は日本企業へと還流し、フ ィリピンの人々には膨大な債務だけが残される。漁民たちの生活を虫 けらのように踏みにじってまで進めなければならない開発計画なのだ ろうか。ODA(政府開発援助)とは名ばかり、実は不況にあえぐ日 本企業への援助なのではないかと思えてくる。  かつて魚貝類の宝庫であり、多くの漁民たちの暮らしと、生き生き としたコミュニティーを支えてきた海は、死んでしまった。岸と埋立 地をはさんだ水路には潮は流れず、地区はゴミと悪臭に苛まれている。 埋立地の外へと漁に出て行くためのエンジン付の漁船を持たない漁民 に仕事はない。漁民としての誇りまで収奪され、足元から崩れていく ようなコミュニティーの姿を、僕たちは何も言えないまま見ていた。  僕は、想像力のことを思う。  セブ島は、手ごろなリゾート地として知られている。多くの日本人 がこの島を訪れる。しかし誰も漁民たちの直面しているこのような現 実を知ることはない。豪華なホテルや、気持ちの良いリゾートでの休 日の、薄皮一枚めくってみれば、ガレキと化した現実が広がっている のだ。どのようにして、僕たちはその薄皮、僕たちにとっては動かし ようのないようにも思われる現実を食い破り、新しい場所へと出てい くことができるだろうか。現実へと働き、現実を食い破り、現実から 現実へ、断崖のような落差をジャンプし、そこに通路を穿ち、新しい 現実を生成すること。その場所へと届く言葉の動性を、どのようにし て僕たちは求めることができるだろうか。

*4月11日から14日にかけて、フィリピンのセブ島へ行ってきました。僕が働いている関西よつ葉連絡会 が、セブ島産のマンゴー製品のフェアトレード(民衆交易)を考えていて、フィリピン側のパートナー(SP FTC)と交流し、加えて、現地の農家の実情に触れることが目的でした。
 SPFTCのジジさんの案内で、マンゴー農家のコミュニティーや、現在進行中のODAプロジェクトに苦しむ 漁村のコミュニティーをまわり、人々の話を聞きました。
 具体的なことはここでは触れられませんが、農家や漁民たちの厳しい状況にもかかわらず、その時僕が感じたのは、 ある種の吹き抜ける感覚のようなものでした。
 逆に言えば、日本での僕たちの暮らし、そして感性が、どれだけ閉塞しているか、ということでもあります。そして、 僕は、どのようにしてそこに通路をつけられるか、考えています。

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