それから後の、あと
小川 登姉子
せっかくの人生だったのに
この頃しきりにそんな気がする
サラエボではない日本に生きて
ベトナムではない日本に生きて
バングラデシュではない日本に生きて
思い出す事といえば
酒を飲んで夜通し歩いて 隣町の朝飯食堂で食べたスキミ定食のべっとりした赤い味くらいのもの
そこはハローワークなんかじゃない正真正銘の職安の隣のとなりにある店で
頭にタオルを巻いた男たちが味噌汁を啜っていた
今日の仕事はつらかった
なーんて 誰かが歌っていた頃のことさ
あの頃も その前も それから後も
なにもなかったような 気がする
どこかの国の どこかの街の しゃれた名前のついた通りの道端で
十才にもならない子供が身体を売っても 餓えて死んでも
せっかくの人生なのに
鮪のスキミの赤い味ほどにも つながらない
だけど それが何なんだ
芭蕉だって 死んで行く捨子に「おのが命のつたなさを哭け」と言ったじゃないか
理想はみんな 死に絶えた ざまあみろだよ
もう 怖いものなんかない
と思って
せっかくの人生だったのに とまた思って
気が付くと まだたっぷりと三十年は生きていなければならない
そうなると もう一度 朝飯食堂へ行かなくちゃ
大根の葉っぱの味噌汁を ツルハシ持った小父さんと一緒に啜りながら
「世の中 なんとかしなくちゃねぇ」
と やっぱり言わなくちゃ
1997年10月号より
*中央文学10月号(日本中央文学会)
東京都品川区西五反田2-26-7