詩集「ぴきこの草子」      今村清子 著

   そこにたてかけられているもの

あつくていいのは洗濯物がからりとかわくことだ シーツやタオルを物干竿からひきはがすとばりばりおとをたてるほ どかわききっている そのとき柚の木からなにかとびたったたぶん揚羽蝶だ卵をうみにき ていたのだろう 青い卵なら指でつぶせる五ミリくらいの幼虫なら指でつぶせる そのとき柚のいいにおいがする みすごして青虫にまでそだってしまったのはさんざん葉っぱをたべ て柚を丸坊主にしてくれた憎いやつとみるのもいやでみのがす あとでよく葉っぱをしらべよう ばりばりおとをたてるシーツやタオルを部屋にとりいれながらわた しの目は洗濯物ごしに右の肩をみた 二ど三どみなおしたのは視野のなかにいへんがあったからだ さっき揚羽だとおもったのは揚羽ではなく十センチくらいのおお かまきりだった なんでこんなところにいるの公園のベンチか草むらにいるべきでは ないか これはわたしの肩であって公園のベンチでも草むらでもないのだよ いつだったかわたしのまわりをちいさな虫がぶんぶん羽音をたてて あちらにとまりこちらにとまりながらとんでいた ふつうではないようすにきていたポロシャツを二ど三ど三ど四ど 目をこらすと 襟や肩や袖の虫がとまったところに二三こづつ 卵がうみつけられていた もしかしてわたしは人間ではないのかもしれない 木か草かまたはそこにたっているものあるいはそこにちょいとたて かけられているものかもしれないと いっしゅんふあんがよぎったが子供が小学生のころでわたしもパー トタイマーの仕事をしていそがしいひびだった かんがえてもかんがえてもでは人間でなければなにものなのか まったくよそうがつかず卵のついたポロシャツを洗濯機になげいれ その件にかんしてはうちきったのだ いまおもいだしたわたしは人間ではないのかもしれない 木か草かそこにたっているものあるいはそこにちょいとたてかけら れているものかもしれない けれどあれからわたしは人間であることをかみしめかみしめさせら れてきた 人間でないほうがよかった 空をあおいで鳥になろうとおもった黒揚羽蝶になるのもいいなあと おもった ねむれない夜がつづくと夜光虫になろうとおもった 入道雲になったら青い空にむくむくとわきあがりいきなり はげしくせつなく雨をふらせ 稲妻と雷鳴を四ほう八ぽうになげつけるのではなくなげつけられて わたしはうろうろおろおろしてきたのだ ポロシャツに卵をうんだあの虫もこのかまきりもおなじくうろうろ してきたのではないか よくにているすこしならとまらせてあげる だがわたしの顔つきと目つきはしっかりにらんでいるのをかまきり もしっかりみてとっておおきな鎌をふりあげはじめた 人の肩にのってその人に鎌をふりあげることはないでしょうと ますますわたしの顔つきと目つきはにらみつづけるのでかまきり もますます鎌をおおきくゆっくりじょうげさせる きみじかにふりまわさないだけに真剣で迫力がある わたしがうごくとかまきりもうごく かまきりをみるのはひさしぶりだそれもこんなに身じかにいる 肩におうむをとまらせる海賊がいる小鳥がとまりにくる聖者がいる どれもすてきなのに肩にとまった身内ともいえるものとにらみあう とはなさけない しぶい枯草いろの体わたしがうごくとかまきりもうごく 脂肪なんてどこにもないスリムな体にかんしんしていると じりじり顎のそばまできょりをつめてくる まちなさいよとまりなさいよといってもかまきりはきく耳をもたな いようでひたすら攻撃あるのみだ あわてなくてもいいではないかとおもいつつじっさいはとてもあわ ててかまきりを庭にふりはらった 

*詩集「ぴきこの草子」 発行 湯川書房 京都市中央区御幸町通夷川上ル松本町569
*かまきりを見つけて、それをふりはらうまでの時間というのは、ほんの一瞬のことで、その一瞬を言葉のつらなり、思考のつらなりによって、アメのように引き伸ばすデフォルメの面白さがあります。
 しかし、考えてみれば、それは決してデフォルメなのではなくて、人の行為や日常生活のなにげないしぐさにも、実はこのような無意識の言葉や思考がつらなっていて、筆者はそれを自覚的に取り出して見せた、ということなのかもしれません。

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