ポートレート
かわむらみどり
シャッターが きられているあいだだけ
わたしは 生きている
生まれた日からの 10億枚ものポートレートを
見るのは誰?
※
きのう街で わたしをみかけたと 友が言った
(わたしは街に行っていない)
「あなた前に、ウエディングドレスのモデルやってたでしょ。
ええ、ぜったいあなたよ あれは ― 」
知り合いが 確信をもってうなずく
(わたしは そんな華やかな世界は知らない)
どこかに精巧なレプリカのような わたしがいるらしい
「この世にね。3人は同じ顔の人がいるってね」
そんな話を聞いたことがある
描きそこなった 自画像を見つめてつぶやいた
「ああ やっぱり神さまはすごいや、同じ顔がつくれるのだとしたら……」
どこかで もうひとりのわたしが 笑う
※
描くなら 水色の絵具で ナナメに
サッと 筆をおろした わたしがいい
顔やかたちは いらない
イメージだけを 描いてほしい
フランス人の小さな女の子が 絵を差しだした
ピンクのばらとわすれな草が 手をつないで笑っている
「これ わたしとお姉ちゃんよ」
わたしはずっと長い間 その絵が好きだった
そして今でも きっと それいじょうの
ポートレートはどこにもない
*瞬間の無限の連なりとしての自画像。その連なりの先には、父母が、祖父母が……いる。瞬間の連なりを貫いて、結晶したかのような
ピンクのばらとわすれな草のイメージ。
薄い自我や自意識としての「私」をこえる私のポートレートが感じられます。
*「しけんきゅう」134号 高松市