ポートレート          かわむらみどり

シャッターが きられているあいだだけ わたしは 生きている 生まれた日からの 10億枚ものポートレートを  見るのは誰?                  ※ きのう街で わたしをみかけたと 友が言った (わたしは街に行っていない) 「あなた前に、ウエディングドレスのモデルやってたでしょ。 ええ、ぜったいあなたよ あれは ― 」 知り合いが 確信をもってうなずく (わたしは そんな華やかな世界は知らない) どこかに精巧なレプリカのような わたしがいるらしい 「この世にね。3人は同じ顔の人がいるってね」 そんな話を聞いたことがある 描きそこなった 自画像を見つめてつぶやいた 「ああ やっぱり神さまはすごいや、同じ顔がつくれるのだとしたら……」 どこかで もうひとりのわたしが 笑う             ※ 描くなら 水色の絵具で ナナメに サッと 筆をおろした わたしがいい 顔やかたちは いらない イメージだけを 描いてほしい フランス人の小さな女の子が 絵を差しだした ピンクのばらとわすれな草が 手をつないで笑っている 「これ わたしとお姉ちゃんよ」 わたしはずっと長い間 その絵が好きだった そして今でも きっと それいじょうの             ポートレートはどこにもない

*瞬間の無限の連なりとしての自画像。その連なりの先には、父母が、祖父母が……いる。瞬間の連なりを貫いて、結晶したかのような ピンクのばらとわすれな草のイメージ。
 薄い自我や自意識としての「私」をこえる私のポートレートが感じられます。
*「しけんきゅう」134号 高松市

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