壮大なモノローグ 小林よしのり「戦争論」を読んで 下前幸一
とにかく長くて、理屈っぽくて、説明文の多いマンガで、疲れました。 平積みのベストセラーだそうですが、読破した人は少ないのではないかと 思います。はっきり言って、おもしろくはありません。右も左も、およそ 政治的な言説というものをバッタバッタとなぎ倒す痛快さを少しは期待し ていたのですが。 このおもしろなさの理由はどこらへんにあるのかと考えてみると、この 分厚い本の中身がすべて小林よしのりという人の頭の中で完結しているの です。読者はかなり手前勝手、我田引水的な小林さんの頭の回転に付き合 わされることになり、とても疲れてしまうのです。しかも、その中身はあ まり独創的とは言えません。どこかで誰かが言っていたことが繰り返され ているだけです。小林よしのり個人の体験や思いや祖父の体験や思いやは 主張に従属しています。マンガが主張に従属すると、プロパガンダになり ます。宣伝マンガということです。そうするとマンガは一般的なステレオ タイプの人物像に従属することになります。なぜならば、宣伝のためには 人々の先入観や偏見に迎合するのが効果的だからです。小林よしのりの自 画像と左翼文化人およびサヨクの人たちの描き方を見てみると、このこと は一目瞭然です。自画像と他者の描き方を見れば、だいたいにおいてその 人が分かるような気がします。 「戦争論」を見る限り、小林よしのりに他者は存在しません。極端に言 えば、いるのは身内と敵だけです。身内は文化を同じくして分かり合える 者であり、敵は通じ合えない者、したがって力関係を通じた取り引きのみ が関係であるような者。身内とは対話なくしてすでに分かり合えている者、 敵とは対話が成り立たない者のことです。ところが他者というのは分かり 合えない部分があり、理解できない部分があり、したがって通じ合えない 部分があるという者、つまりあるがままにある関係ではなく、対話の努力 によって初めて関係が始まるという者のことです。そして対話とは誰かが 誰かを説得することではなく、それを通じてお互いの言葉がお互いに浸透 し、お互いが変化し、したがってお互いの関係が変わるということです。 「戦争論」の中にアメリカ人や中国人との対話の芽生えがあるでしょうか。 そして小林よしのりがみずからの「個」の基盤とする公、日本というもの もまた朝鮮、中国、西洋との出会い、対話、葛藤によって歴史的に自らを 形成してきたのであって、あるがままの日本というものが昔から変わらず あったわけではありません。民族によって、内と外とを区切らなければな らない根拠などあまりないのです。「個」がその基盤とすべき公が民族で なければならない理由はないし、在日の朝鮮人や中国人、フィリピン人、 ペルー人その他あらゆる出自の人々といまや日常的に出会う可能性のある 社会にあって、そのような認識は思想的な暴力になりかねません。僕たち はむしろこのような異質の文化的な背景をもった人々との対話の中から、 ぼくたちの「公」をそのつど紡ぎ出さなければならないのです。 消費者的な浮遊する「個」に対する小林さんの苛立ちは分かるような気 がします。現代の消費社会の分泌するさまざまな問題については「戦争論」 とは別に考える必要があると思います。それに対しては、人間が歴史と社 会の交差点にあるという「個」の把握の論を立ててもあまり意味はないし、 浮遊する「個」を生み出したのが左翼の文化人やマスコミやアメリカや中 国の洗脳だとか、誰かや何かに責任を押し付けても問題にはなんら触れる ことはできません。また、消費社会と人権、平和、平等の思想とは別の問 題でしょう。人権や平和、平等というのは、洗脳ではないと思います。な ぜならそれは葛藤と苦悩のうちに闘いとるものだからです。なにもわから ないまま教え込まれるとき、叩き込まれるとき、それはあるいは洗脳と呼 べるのかもしれません。しかし現在の日本にあっていかに地に落ちたとし ても、人権、平和、平等の思想は先人たちの闘い、15年戦争の犠牲、広 島、長崎の闘い、沖縄の闘い、安保阻止の闘いなど、人々の闘いによって、 勝ち取られてきたものです。そして、人権、平和、平等の思想というもの は決してあるがままにあり、閉じたもの、あるいは完成されたものではあ りません。それはつねに他者との出会いの中で、確かめられ、磨かれ、そ ういう過程においてのみ、過程として存在するものなのです。そして、そ ういった他者との対話、出会いこそが思想を洗脳から区別するものだと思 います。 「戦争論」は小林よしのりの壮大なモノローグです。題材が大きくなる ほど閉じていく感受性は逆説的です。小林よしのりがあえて、あるいは無 意識に聞き逃し、あるいは聞こうとはしないこと、そこにこそほんとうに 聞くに値する戦争論があるような気がします。
*季刊「ねんでやねん」のために書いた文章です。