白いオリの前

キリンの姿が見えなかった しろい影の動物園 夜を踊り明かして ぼくら二人冷えきった鉄柵をのりこえて まだ明けきらぬ 霧の早朝 とても眠たかったし、疲れてもいたけれど まだ帰る気にはなれなかった 流れる霧に吹かれながら ぼくら二人キリンのオリの前にいた 空っぽの白いオリだ ぼくは柵にもたれ 彼女は膝を抱いてベンチに座っていた そのようにして待った とおくからの呼び声を だけど ぼくにはもう分からなかった 自分がいったい何を求めていたのか いったい何に飢えていたのか ぼくはとても疲れていて ものを言うことも もう、考えることもできそうになかった ぼくは空っぽだった 愛しているかなんて そんな質問を ぼくは全然好きじゃないけれど もし尋ねられたとしたら きっと泣きだしていただろう ぼくはとことん空っぽで なんにもしてあげられることもなくて とほうにくれるばかりだった キリンの姿が見えなかった白いオリの前で とても長い時間がたったような気がした なにかとりかえしのつかない失敗をしでかしたような とりかえしのつかないものを手放してしまったような いたたまれない寂しさだ 彼女はベンチの上で膝に顔をうずめていた どうしたのつらいのかい という言葉を口にできないまま 疲れ果てていた 思えばいつも疲れ果てていた気がする これが俺たちのやり方だ と言えるものがぼくにはなくて ぼくらには見つけられなくて いつのまにか飲み込むことに慣れてしまっていた あらゆる感情と そしてあらゆる行動を 友人たちや他人たちへのあきらめが いつしか自分自身を縛ることに気づかないまま ひとりごとの断罪をしていた キリンの姿が見えないオリの前で 立ちつくしていた しろい流れる早朝の霧のなかで 電車はまだ動き始めていなかった 町はまだ眠りこけていた 信号は点滅していた とおくからクルマの響きが聞こえてきた そして もう怒ってなんかいないぼくがいた かすかにうなる自動販売機 生ぬるい缶コーヒーを両手に持って 振り返ったとき 彼女が なぜかひどくカワイソウだと思った そんなふうに思う自分がたまらなかった もうなんにも怒ってなんかいなかった 生ぬるい缶コーヒーを傾けながら そんな自分がたまらなかった ほんとうは これ以上待ちたくなんかなかったけれど いったいどうしてしまったのか 雨だ いつしか濃い厚い雲が来て ポツリ ポツリ と 一日がまた始まって 季節がだんだん冷めていく キリンの姿が見えなかった しろい影の動物園 夜を踊り明かして ぼくら二人いつまでも待ちつづけた白いオリ

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