猪鍋の夜
下前 幸一
例えば
それは座礁
見えない沖の
激しいざわめき
分からない出自の
濡れた地図
黄色い電球が灯っていた
猪撃ちの成果を囲い
密やかに言葉はほてって
さいっつぁんの声は興奮に弾んでいた
食卓は和歌山弁の山中に筒抜けて
山道にこだまする鉄砲の音
猟犬の吠え声
熱い息と葉擦れの音
首筋に流れる闇のしずく
跳梁する
見えやんよ
てきゃら
ごついやらいてよー
おとろしよー
おとろしよー
猪肉を足しながら
お母さんの相槌は赤く流れて
荷台に横たえられた猪の死体
ふとんは赤黒い鉄の味がする
迷宮にこだまする鬼の宴
思い出の向うに解体されて
始まりに挫折があった
すべて言葉は
断念に受精し
僕はひとり
発光する言葉の
発芽の寂しさにいた
*少し前になりますが、「新日本文学」の方言をテーマにした詩特集のために書いた詩です。
両親が和歌山から出てきたので、僕の言葉の出自、その発端の場所には和歌山弁の響きがあります。
そして、僕たちの言葉の出自、その発端の場所で、言葉は、断念と屈折、折り返し、変態を繰り返しています。
ただ単に、あらわすものとあらわされるもの、ではありません。だから、今に至るまでも、
僕たちがつまづくのは、言葉において、なのかもしれません。