紹興は雨に濡れていた

 紹興(シャオシン)は雨に濡れていた。  灰色の雲が一面に空をおおい、小降りの雨が降り続いていた。  バスターミナルに降り立った僕は、泥まじりの水たまりを避けな がら、少しとまどっていた。バスターミナルや駅に特有の賑わいと いうものがないのだ。  同乗の人々はすぐにいなくなって、まるでひとり見も知らぬ田舎 街に取り残されたかのようだった。  バスターミナルの建物の脇で、雨を避けながら、今朝杭州のバス ターミナルで買った中国煙草(小熊猫、三・五元)に火をつけた。  ときおり、大通りを水しぶきをあげながら大型トラックが行き過 ぎた。  紹興は雨に濡れていた。  解放北路を僕は南に向かった。  紹興一の繁華街を、人々は肩をすぼめるようにして歩いていた。  傘をさして行き交う人々、カラフルな雨ガッパを着て、自転車で 行く人々。通り過ぎるバス。  建築現場の竹を組んだ足場も雨に濡れていた。  国営スーパーはひっそりとしていた。  映画館の前には、若者たちがたむろしていた。  電気機器の商店は人気の少ない歩道に大音量の流行歌を流してい た。テープレコーダーの音楽は早くなったり遅くなったりし、おま けに音は割れていた。  解放北路七九号、蘭香大酒家(紹興旅館)。  ガイドブックのホテルを捜していたとき、偶然見つけたホテルに 僕はチェックインする。  ツイン、五二元。テレビのリモコンの保証金、五○元、住宿証の 保証金、五元。  備え付けの魔法瓶のお湯を注いで、お茶を入れる。  小熊猫に火をつける。少しきつい。  窓から外を眺めると、黒い瓦の三角屋根の家々が見える。 「東洋のベニス」は雨に濡れていた。  一○分も揺られていると、一路の路線バスは市街地を抜けて、田 園地帯へと入っていった。  景勝地、東湖(トンフー)への途中。  五メートル幅程の舗装道の両側には豊かに生い茂った並木がアー チのように道路をおおっている。並木の向こうは小雨にざわつく運 河と、川船。そしてはるかに広がる田園。  バスはときおり、クラクションを鳴らしながら、自転車に乗った 農夫を追い越していく。  東湖は雨に濡れて、わずかな観光客もひっそりと言葉を交わして いた。  庭園に向かう沿道には食べ物やお土産の屋台がうずくまっていた。  運河沿いには白壁の家々。  砂利を積んだ川船が、古い石橋をくぐっていく。  降り続く小雨に閉ざされて、静かにうずくまっているかのような 東湖、紹興郊外の風景。  バス停でバス待ちをするあいだに、臭豆腐というものを食べた。  自転車の荷台を利用した屋台。  串カツのように、一センチ角程の揚げた臭豆腐を数個串に刺して 赤いタレをつけたもの。一本二角。臭豆腐の得体は、知らない。  バス停広場で、軽三輪自動車のタクシーの運転手が退屈そうにし ていた。  売店の少女は椅子に腰を下ろして、雑誌を一心に読んでいた。  再び市街地へ戻り、僕は魯迅紀念館に向かった。  雨は休みなく降り続いていた。  解放南路から脇道を入っていくと、街並みは参道のようなたたず まいを見せていた。  お土産の店や食堂や屋台が続く。  臭豆腐の店には観光客が詰めかけていた、降りしきる雨を避ける ようにして。  高校生らしい一団が賑やかな声をあげていた。  魯迅紀念館。入場二元。  魯迅とその時代が展示されていた。  三味書屋、そして百草園。  百草園の黒い畑と、黒瓦に白壁の建物。蛇園には蛇が金網越しに 雨に濡れてとぐろを巻いていた。  解放北路をバスターミナルの方へ向かった。  明日の杭州行きのチケット(六・六元)を買う。  ビニールシートの屋根で雨を避けながら客待ちをする屋台で焼き そばを食べた。朝、杭州のバスターミナルで一元三個の肉まんを食 べて以来。  夕暮れ近い紹興の裏通りを歩いた。  石畳の坂道。  誰もいない裏通りを僕は歩いた。  田園の街、紹興。運河と水路の街、紹興。紹興酒の街。魯迅の故 郷、紹興。  夜には雨が上がった。  紹興旅館の隣に国営の食料品店があったので、何か食べ物を仕入 れようと思ってホテルを出た。  食料品店は、日本のスーパーのような形式で、レジでお金を払う ようになっているので、自由に品物を見ることができるのだけれど も、陳列が悪いのか、かすかに埃を被っているかのような印象なの だ。商品は、酒類と缶詰とラーメンとビスケットなどのお菓子類。 あまり食指をそそるような物はなくて、カップラーメンを買おうか とも思ったのだけれども、考えてみれば箸を持っていないので、缶 ビール(二缶、七元)と煙草(紅梅、四・一元)だけにした。  帰り道、ホテルの脇の歩道で、水餃子の屋台が湯気を立てていた。 屋台といっても、餃子を茹でる大鍋とスープを温めるコンロだけ。 客用に小さなテーブルがひとつと丸椅子が三脚ほど。夫婦らしい、 おばさんが餃子をつくり、おじさんがそれを茹でて、客に出す。薄 暗い歩道の一角で。客はひとり、ふたり。  気に入って、一杯一元の暖かい水餃子をおかわりする。雨が降り 続いて、肌寒かった紹興の夜に。  紹興旅館の部屋に戻り、お風呂に入る。  缶ビールを飲みながら、ぼんやりとテレビを見ていた。  中央電視台の二局と他に二局。中国語と英語の字幕付きの香港映 画(?)とナントカ戦士という日本のアニメ。

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