詩集「副題 太陽の花」 寺西幹仁 著
とりこ
小学生のころ
毎週日曜日野球をした
広場に集まったこどもが奇数のとき
一番使えないこどもを残しグッパーでチーム分けする
チームが分かれると代表が出てじゃんけんをする
負けたほうが残ったこどもをチームに引き取る
一番使えないこどもをとりこと言った
私はとりこだった
その日も私はチームの代表にはさまれ
じゃんけんのまんなかに立っていた
だれかが あれ という顔をした
振り向くと祖父が立っていた
そのとき祖父がどんな顔をしていたか憶えていない
恥ずかしさと情けなさで脳みそがいっぱいになった
私がとりこであると家族には知られたくなかった
私は家に帰れなかった
丈の高い草の茂った河原があって
私はそこに身をひそめた
夜になると湿り気が尻を冷やす
今も私はその河原にかくれている
明日こそ迎えに行かなくては
そう考えている
三月十六日のこと
副題 太陽の花
着るものがなくなって
コインランドリーに行った
空堀商店街を西に下って
松屋町筋の二筋手前を右に折れた所にある
コインランドリーに行く途中
山辺病院があって
その前で
花を売っている人がいる
三月十六日午前十時
その人はいなくて
ダンボール箱が置いてあった
箱には大きな字で
太陽の花
と書いてある
その下に小さな字で
小菊
と書いてある
箱の横に
沖縄県花井園芸農業協同組合
と書いてある
どうして太陽の花なのか
沖縄だから太陽の花なのか
それとも小菊の別名がそうなのか
わからないままぼくは
洗濯物の詰まったバッグを持ち直し
頭の中で
太陽の花太陽の花と
呪文のように唱えていた
太陽の花というタイトルで
何か書きたいとも考えた
昨日お好み焼屋で焼酎のお湯割りを四杯飲んだ
そのあと別の店でウイスキーの水割りを五杯飲んだ
おととい電話でTさんに
一人で三時まで飲むのは良くないと言われた
Tさんのおとうさんは七年前酒で死んだ
そんなことも聞いた
それで
酒を飲むこと自体が良くないと言っているのか
一人で三時までというのが良くないのか
それとも両方良くないのか
そんなことを考えながら
昨日も一人で三時まで飲んでいた
商店街の果物屋の先を右に曲がると
コインランドリーだ
果物屋の店先で三歳くらいの女の子が
店番をしているおかあさんの指を
いじって遊んでいる
おかあさんをさわるのがうれしい
そんな顔だ
ぼくはコインランドリーでこれを書いている
タイトルを太陽の花にしたかったが だめだ
*詩集「副題 太陽の花」 発行 詩学社 東京都文京区本郷6-22-8
*寺西さんは、定期的に行われている「詩マーケット」を中心的に担っておられます。
暮らしのふとした物思いがとてもあたたかく詩の言葉に定着されています。その中心には「とりこの痛み」が作動しているようです。
とりこの痛み、うずきというものは誰もが胸の底に持っているものですが、寺西さんの詩では、そのうずきが底の方から赤外線のようなぬくみを放っているという印象です。