詩集「孔雀草が一千の瞳で」 たなかよしゆき著
春の贈り物
あなたに春の贈り物がとどけたくて
わたしは雨降るなかを畑まで走ってきました
甘藍(きゃべつ)の花
葱坊主
大根の花
フリージァ
いちはつ
チューリップ
それらを太い束にして
あなたのもとにとどけたくて
わたしは畑まで走ってきました
あなたならば
これらの花をわらわずにうけとってくださるでしょう
あなたはわたしにたくさんの出会いをつくってくださり
わたしの内部の泉からすがすがしい水を汲みとってくださった
わたしの言葉が他者の成長に役立つようにとりはからってくださった
そのあなたのテーブルを
わたしの畑の花が
にぎやかにいろどってくれたら
どれほどうれしいでしょう
わたしはみずみずしいつゆに
てのひらをぬらしながら
花の束を抱えて
あなたのもとへ
とことことまいります
孔雀草が一千の瞳で
トルコ石のような青空の日
孔雀草が一千の瞳で世界を明るく照らす日
わたしはいちにち
雑巾やたわし
ほうきやモップ
水きりや塵とり
電気掃除機や噴霧器
塩素系消毒剤や固形飼料 給水瓶を使って
動物たちの世話をしていました
昼休みには公園に出かけ
つめたいさわやかな風の吹くメタセコイアの樹の下で
栗ごはん チキンハム 小芋の煮っころがしの弁当を食べてから
ベンチに寝ころんで雲をみていました
夕暮れ
蘇武橋のたもとの巨きな榎の下のたこやき爺さんのところで世間ばなし
たこやきを一舟買い
缶ビールも求め
桜並木のベンチで
金剛葛城二上の黒いのこぎり歯の空を
オレンジ金に染める日没を眺めながら食べました
神宮線の線路の土手にきくいもがきんいろの花を
咲かせているのも目に捉えています
明日の朝
あのきんいろの花を肥後守で切りとって片方の手に握り
もう片方で自転車を片手運転
ぎったんばったん走りながら
事務所のテーブルを飾ったら
きれいだろうと
それから
駅前の上万青果店で
いちぢくを一盛り買って
ほろ苦い安らぎのような
さみしい空洞のような
たわめられた跳躍台のような
ものを感じながら
ひらりひらりと帰りました
このごろのわたくしは
このごろのわたくしは
コンクリートやアスファルトや地面や草の上やの
人の足下にちかい場所にしたしいものを感じる
ホームレスや路上生活者にちかいかも知れない
風に吹かれて
気ままに
街路や野原や山林の径を
歩いて考えているのがぴったりする
ジーンズの帽子をかぶり
季節に応じたやわらかいなりで
肩かけ袋のなかに
文庫本や手帳
地図やべんとうや八朔をいれて
眼だけをぎろりとひからせて
歩いて世界を感じているのがぴったりする
『孔雀草が一千の瞳で』あとがきより
…
また、『孔雀草が一千の瞳で』という書名は同名の詩からとってきたのですが、これには仏教教典のひとつである「孔雀明王経」ともだぶらせたい魂胆があります。古代インドでは、孔雀は毒蛇を食い殺す聖なる力のある鳥と考えられていて、その孔雀の聖なる力を崇め敬っていました。わたしはその孔雀ならぬ孔雀草の白い花の輝きで無明の闇の世界を照らしだしたいとかんがえたのです。そんな気持ちもすこしはこの書名にはこめられています。
…
石佛やシンプルな暮らしのかたちとの出会いはどんなものよりもわたしに生きる勇気と歓びを与えてくれます。鳥や樹木や虫たちの生きざまもとてもかしこい智慧にみちびかれていて、わたしには教えられることが多い。私の内部に眠っていた何ものかが揺りおこされ、目覚めを感じさせられることもたびたびあります。…生きることは油断をするとすぐに闇の世界に没してしまいがちです。わたしに光を投げ与えてくれる、この〈出会いの旅、歩く旅〉をこれからもつづけていきたいとおもいます
*文文舎刊
奈良県大和高田市築山656 定価1000円
97年4月号より
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