詩集「地の軸に架かるこえ」 丹野文夫 著
地の軸に架かるこえ
なにゆえに
かくおぞましきおもいする
高架橋ある市(まち)を行きつつ
昼まなか幻の野に
おのが影殪(たお)れふし
唇よりもれるこえ
地の涯へ吹き寄せ
陽炎とともに起つ
夏の地・八月へ
夏は殪されたものらの季節
四季を呑みこんだくらい口をあけ
地の軸に逆さ吊りに架かる瞳から
記憶は量り知れない時間を通って溢れだし
ひとびとの頸に巻きつき締めあげ
日々の会話のなかに顰(ひそ)む唖者の季節
八月
おお 水の曜日
傾く影は一様に地に墜ち
ふと振り向くと電柱の陰で叫びをあげる
午前の陽光にかがやく空のなかへ
夜の時間に飛行計器を照準し
一羽の鳥のように侵入してきた
絶えざる翼の平衡の苦渋に
思想の視界のなかでかすむ領域へ
意志としての歩行の脚を落下した
地のうえへ一瞬はしる閃光
燃えあがる 草花 樹木 人体
焼けただれる 窓 橋 石
風は いま
都市の事象の空洞のなかを
世のくらがりの方へむかって吹く
ひとびとの意志は
言い古された希みの垢にまみれて
散乱する白骨のなかに黙している
この道をまっすぐ逃げよう 風の吹く方へ
あの橋を渡って行こう むこう側へ
裂けた黙示の真下に佇ち並び
少女は剥(そが)れた裸身の傷で語った
少年は見開かれた瞳のふかさで語った
母は背に負い胸に抱擁する腕のかたちで語った
影は仆れた土の熱さで語った
地に叫びはみちても
ひとびとの帰巣の樹木は立ち枯れており
飛行計器はかすかなおとをたて
焼けた石 腕 脚 頭骨の散らばる都市の上で
地の軸の偏向に引き寄せられながら揺れている
ひとよ
殪された少女と少年と母に
惨劇の旅の終りが来ることはない
土に焼き付けられた影の消えることはない
いまは ただ
きみらの旅のさなかに出てゆくことだ
灰すらも熱く燃える季節
くるめく焦熱の気象のなか
たかくたかく立ち昇る焼却塔の煙がたなびき
人声がひくく流れてゆく ひくく
夏の地へ
風におくることば
海の底ふかくには
だれにも知られぬ一枚の鏡が沈んでいて
ひとがそれぞれの夜をかさねる夢のさなか
滴らす血のしずくに赫く映えている
“佇(た)ったまま死にたい”
遠くに海の水平線が視えるたかい土手の端で
唇をまあるく開けいきなり一息に吐き出す
掌をかざし振りかえれば過ぎた旅の道のりは
ふかあいめまいのなかに身を横たえていたようなもの
どうでもいいと思ってしまう午睡の時間から身体を引き抜き
わたしのひと日の終りを迎えようとしています
“佇ったまま生きていたい”
この世が展けるかぎりの希みのなかで記述したこの一行が
わたしが背負っている旅行鞄の中で
古びたセピア色の写真の一枚と触れ合いながら
気ぜわしく鳴りつづけ耳にうるさいので
今日はこの写真の風景をそのまま送りましょう
笑イナガラ唐黍畑ノ一列ノ並ビニ沿ッテ
ウネウネト続ク緑ノナカヲ葉ガクレシナガラ
マタ頭ヲ出シテハ消エタ少年ノ背中
ソノトキ茫々卜広ガル海ガ眼ノマエニ
土手ノ松林ノアイダカラ押シ寄セテキテ
空ニ反射シテハイッソウ蒼クマッタク蒼ク
フカイ眼マイノナカニ墜チテシマッタ少年ハ
風ガソノトキ吹イテイタノカ吹イテイナカッタノカ
唐黍ノ粒ノ輝キカラ漂ウ香リニ酔イシレタ
少年ノ午後ノ陽ザカリニ聴コエタ呼ビ声
“モウ イイヨウ”
生アタタカク耳朶ニ触レル囁キ
シゲル夏草ノイキレノ真央(まなか)デ
創メテノ射精ヲシタ唐黍ノ白イ液
少年ノ日ノ割礼劇ニ導カレルママ
裂ケタ傷ノイタミニ目覚メタ昼サガリ
少年ノ割レ目ニ赤ク咲キミダレル彼岸花ノ毒
土手ノ松林ヲ日ガナ一日ヂュウ風ガ吹イタ
ソノ風音ニアワセウルワシノ唐黍ユレ立チ
赤紫ノ花毛ヲナビカセ海ノ彼方へ花粉ヲマク
“佇ったまま生きていたい”
おまえはおまえの風景を視ながら いまも
この一行を心のなかに秘めているだろうか
*詩集「地の軸に架かるこえ」 発行 同人「ひびき」の会 仙台市宮城野区鶴ヶ谷2-5-10-104
*記憶の中に焼けつく八月の情景が鮮烈なのですが、そのただ中に、自らを一個の意志として
立てようとする姿勢が、この詩集を内的に支えているのかもしれません。