詩集「海風 その先」
石川為丸
海風
鬱蒼と樹木の生い繁る石段の道を降りていく 右脇の琉球石灰岩を
つつむ 羊歯類のやさしい沈黙の先に 浦添ようどれ 今もひつそ
りと過去の傷をとどめて 故地は奥まつた切り岸にすつきりとおさ
まつてゐる。失意のうちに過ぎ去つたものらの なつかしい気配に
さそわれて 遥かな素生にゆりもどされる ここでは何もかもが久
遠にゆるされているやうだ 浦添ようどれ 戦ひも敗亡も ほろほ
ろと海の方へこぼれ落ちていく 聞こえてくる単調な三線の旋律
海からの微かな風 それをむかへるガジュマルの暗い聖地 どこに
も属する場所のないわたしは かうして風の通り道で吹かれていれ
ばいい。内にめぐるものはわかるまいよ。てのひらを百歳の樹肌に
そつと押し当て 熱いものは何だったのか 何のためのたたかひだ
つたのか いまでも問ひ返してゐる わたしはわたしで眩みながら、
やがて墨書の彼方の深みにはまつていくやうだ。海風 この先に
行つたことのない廃墟があつて 遭つたことのない死者がゐて 聞
いたことのない死語が紡がれてゐるのだ 浦添ようどれ わたしの
うちに 深くそれらを埋め終へると わたしは静かに ひとつの折
り目をつけてゐた。このさきへ
海蛍
夜の海辺の
波間に光る 青白い あれはなに?
ウミボタル
土地の子供が言った
一九六〇年代も終わりの夏
わたしたちは瀬戸内海の小島で数日を過ごした
それは所属していたサークルの合宿で 遠い日の
忘れかけていた
夏の日
饒舌な学友の 聡明な額が眩しかった
言葉が大きな意味を持っているように思えていたから 会議中
私は自分の言葉が見出だせなくてうつむいてばかりいた
合宿も最後の夜 わたしたちは花火をしに
松原を少し歩いて 浜へ下りていった
最後の線香花火が終わり
帰ろうとすると
暗い海面の波間に
青白い光がただよっていた
あれ
海蛍だって
つかまえようぜ
スカートのすそを濡らしながらきみも
海に入った
だが
掬っても掬っても
確かに掬っても
てのひらを擦り抜けてしまう
海蛍
あれはなんだったのか
闇の中に落ちていったざわめき
その夏も終わると わたしはさっさとそのサークルを脱けた だから
「行く」のを止められなかった 一九七〇年代の初めごろ
学内から姿を消したメンバーの連絡も途絶えたまま それからは
とうに時効も過ぎたはずなのに きみは姿を現わさなかった
今は沖縄の那覇の街ではぐれている私に
きみがフランスで客死したという知らせが
昨日届いたばかりだ
あの夜
掬えなかった海蛍が
あの夏のまま
妖しく
波間に揺れているようだった
*詩集「海風 その先」 発行 おりおん舎 〒900-0013 那覇市牧志3-20-5-308
海風という詩は詩集の中でもつき抜けた詩ですが、海蛍の感傷もつき抜けています。でも、それも悪くない。いろいろ楽しめた詩集です。