仕立屋
― ぼくが入院したら入っていた ―
山本政一
満州から沖縄へ配置
指揮官が悪かった
首里を攻略しては
とりかえされた
蛸壺に入っていた
足を出して撃たれ
ひめゆり隊に助けられて
洞窟に運ばれた
歩けるものは
青酸カリをおいて出ていった
蛆に食われ
肉まできたときとった
腐敗してぶくぶくの死体を踏んで
真暗闇を歩いていった
ここだと掘り
蔓を伝って出た
沖縄人がいった
「戦争は終わった」
「日本は負けない」
と拳銃を向けたら
逃げていってしまった
ぼたぼた落ちる雫に
拳銃は錆びていた
みかんをとって食べる
下痢をした
米兵がやってきた
「臭い 臭い」といいながら
車に乗せて収容された
食べた者は死んだ
片足では使役に向かず
一年後敦賀に着いた
やまもとまさいち 1929年東京中野生まれ 武蔵野美大中退 駒沢大学経済学部卒業 日本文学学校四期生 1965年6月日本文学学校卒業生を中心に菅原克己『サークルP』を結成 これに参加 1968年第一詩集『動物詩集』 1969年『絵の教室』 1975年『ラザロの死』 1992年『河馬』の4冊の詩集をのこす このほかにブラジルでなくなった弟への追悼詩集がある。絵画展にも参加している。1996年12月13日死す 67歳
{遊撃」2月号は、山本政一さんの追悼号とされています。僕は山本さんとは面識がありませんが「遊撃」その他の詩誌でその作品はよく目にしていて、とても多作な方だという印象があります。
戦後のことも含めて、現在の日本人が忘れていきつつあることを作品にしようとする貴重な書き手でした。
山本政一さんの詩稿は整理されて「遊撃」の方からガリバン詩集として出版されるそうです。
97年4月号より
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