前方には旅

 船酔いが潮のようにこみあげてきた。慌てて僕は舷側へ飛び出し た。口元を押さえた指のあいだから、噴水のようにさっきレストラ ンで食べた中国料理が吹き出した。うねりのように噴水は幾度も吹 き出し、吐き尽くした胃袋は痙攣した。目尻から涙が落ちた。  東シナの海は黒く波打っていた。水平線は沈黙の彼方に消えてい た。雨が降っていた。雨は吐いた食べ物と胃液に汚れた手の平を流 れ、髪の毛をしたたり、涙とまざりあって、Tシャツから胸元へと 流れ落ちた。手すりにもたれて、酸っぱい唾を吐いた。レストラン から漏れた明かりが黒い海に微かな影を投げかけていた。  低く、重たく持続するエンジン音のかたわらに腰を下ろし、闇の 中に降りしきる雨を見ていた。  沈黙のことを僕は話そうとしたのだった。  乗船の数日前、泉大津市南冥寺の本堂で、夕刻。一○人前後の聴 衆の前でひとつの詩を朗読したあと。沈黙に直面するということの 意味を、僕は話したかった。告発が内包する沈黙。告発として沸騰 する言葉、沈黙への臨海に踏み止まりながら、かろうじて屹立する 言葉としての沈黙。告発に直面する一個の沈黙として。  言葉は記号の体系ではない。コミュニケーションは伝達ではなく、 また相互伝達でもない。ある事件的な場において、僕たちは言葉が 絶句したり、言葉が蒸発したり、あるいはまた言葉が結晶したりと いう瞬間を目撃するのだけれども、実はそのような言葉の垂直的な 次元の運動は日常会話の全ての瞬間に行われているものなのだ。記 号としての言葉の交換という水平的な次元の運動に対して、この垂 直的な次元の運動をモノローグと名付けよう。  コミュニケーションは必ずモノローグを含む。それはコミュニケ ーションの創造的な次元であり、人間的な次元なのだ。それは生成 であり、また消滅である。言葉のこの垂直的な次元の運動を自覚的 に捉えるということがおそらく詩の原理なのだ。つまり、詩は決し て特権ではないということだ。だれもが日常会話の内に拡散した詩 とも言うべきことを生きている。  しかしながら一方、コミュニケーションの水平的な次元、記号と しての伝達、言葉の道具的な使用がある程度固定的に保証されてい ないと日常会話は成り立たない。ある言葉がある指示内容(意味) に一致するという保証、そのピン止め力はどこから生まれるのだろ う。僕の直感的な理解では、おそらくモノローグの制度化、あるい は沈黙の実体化によってなのだ。垂直的な次元、言葉の生成と消滅 の次元を固定することによって、水平的な次元の安定性は確保され る。ある社会はその社会に特有の実体的な沈黙とモノローグの制度 的な体系を持っている。例えば神話、神や自然に対する祈り、巫女 の祈祷、民話や童話、あるいは近代的な個の内面性などである。実 体的な沈黙に社会が寄り添うことによって言葉の水平的な次元の安 定が保証されるのだ。  現代とは、近代主義的な意識によって、歴史的に構成されてきた 実体的な沈黙が次々に明るみに出されてきた時代だと言えるだろう。 モノローグは次々に暴かれ、神秘主義や非合理主義だとして斥けら れ、合理的な言説に置き換えられる。言葉の神秘性は露にされ、水 平的な次元に一元化される。科学と合理主義の勝利だ。しかしその 勝利の瞬間に水平的次元はずるりと滑る。何故か。水平的な次元の 安定性は他ならない非合理的な垂直的次元の固定化、制度化、ある いは沈黙の実体化によって支えられていたからだ。実体的な沈黙が 明るみに出された瞬間、現れるのは合理的、記号的な言葉の世界で はなく、言葉がその根拠を失って、止まることを知らず流動化する、 いわば言葉や記号の過剰とも言える事態なのだ。それが現代だ。実 体としての言葉や記号そのものの過剰が問題なのではない。言葉を 支える求心力としての沈黙の不在が問題なのだ。実体的な沈黙は蒸 発し、気化した微粒子的な沈黙が言葉や記号とともに流動する。  しかしながら今改めて沈黙を構成したり、過去の実体的な沈黙を 郷愁することにはあまり意味はない。むしろいまこの瞬間の言葉の 生成と消滅、その垂直的次元の運動、あるいは微粒子的な沈黙の生 成と消滅の現場をこそ見つめるべきだろう。  突然、ひとりが立ち上がり、 「あんたの話は面白くないから、俺は帰ります」  と言いながら出ていった。  しどろもどろ … 。  南冥寺の境内に日は暮れ落ちて、本堂の縁側で、友人のフォーク シンガー、廣石雅信や阪上正人と言葉を交わした。本堂では若手講 談師が聴衆をわかせていた。南冥寺境内の湿り気を帯びた空気や微 かにざわめく木立を僕は見ていた。ふと、さっき聞いた阪上正人の 唄の一節が情景をよぎった。  ♪いくらでもいくらでも命使い果たそう  僕はこれですべての仕事に一応のケリをつけたことになる。少し 心もとなく、少し寂しく、また少しだけ自由の感触を感じながら、 夕闇の中にいた。すべての仕事、価値関係、また友人関係などに一 応のピリオドを仮設すること。旅は全ての日常関係をカッコに閉じ る。もちろんそれは幻想的なことに違いないのだけれども、もう一 度裸の自分に戻り、もう一度生きることの意味に立ち返る。裸の命 の姿に戻っていく。  ♪いくらでもいくらでも命使い果たそう  まるで遺言のように、僕は頭の中で唄の一節を繰り返していた。 白昼の明かりは少しずつ落ちていった。ひとつまたひとつと電灯が 消されていく。僕の中のどこかでにぎわいがひとつまたひとつと消 えていく。赤いネオンが落ちる。サヨナラ。またいつか。うんざり するほど愛しい毎日の情景と毎日の君よ。サヨナラ。  東シナの海は荒れていた。夜は均質の闇ではない。均質の国のま さしく外海なのだ。  また、噴水が来る。

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