頭痛の持間          丹田亮子

                                          受話器を置いてから頭痛が始まり、眠れず、そのうちに吐き気もおぼえ、そ れから腹痛もやってきて、下痢をした。吐き気はおさまったが、頭痛は久し ぶりにひどく、階下の台所で薬を飲んだ。ついでに冷蔵庫から小さな保冷剤 を出して、頭のてっぺんにのせ、右手でおさえ、寝静まった家の廊下を歩い た。へんな格好をしているな、と思うと、自分に対してやさしい気持ちにな れた。   二時半まで、と手帳に記されてある。電話を終えた時刻だ.喧嘩をして   いたのではない。ただ、なにか大切だと思われることについて話してい   たのだった。私は今、何故こんなことを書くのかわかってない。電話の   相手を責めるためではないと思う。 ベッドに横になると余計に痛みが激しくなるようなので、立ったり座ったり、 壁にもたれたり、軽く跳んでみたりもした。身体を動かしているうちに、「手 の平を太陽に」の歌を口ずさんでいた。「まっかに流れるぼくのちしお」そ う、その血潮がどくどくするのに合わせて頭ががんがんするのだ。なんでこ んな歌なのだろう、と思うと、少し笑えた。薬は、三十分たっても効かなか った。じっとしているのがつらいので、洗面所に行った。さっき見た、白く て怖い真夜中の自分の顔を、もう一度見ておきたかった。あんまり頭が痛い ので、もう私はだめかもしれないという思いは深まらず、よい具合に途切れ た。   こんなことを書いても読む人はつまらないだろう、と思う。私は、何故   こんなことを長々と書こうとするのだろう。つらいことを書きたい、と   思ってない。つらいことを書きたいのだろう、と思われたくない。 部屋の中だけでは動きに制約があるので、階段を上り下りしてみた。暖かい 色合いの電灯に照らされた階段を、足音に気を配りながら歩いた。階下の暗 がりについては、気にならなかった。それでも動きが窮屈なので、戸外に出 てみた。ガレージにあかりをつけ、車の周囲を歩いた。右まわりばかりして いるのは身体によくない、と気づいてからは、時々向きを変えた。眠れない 理由は、はっきりしている。頭痛なのだ。そう思うことで、気分が晴れやか になるのがわかった。歌は、とぎれとぎれに歌っていたと思う。鍵を持って いなかったので、車の中には入らなかった。サイドミラーに顔を映すことも しなかった。表に出て町を徘徊したい、と強く望んだが、頭のてっぺんに保 冷剤をのせたパジャマ姿の人は怪しすぎるだろう、とあきらめた。   よいことを書きたい、と思っている。どんなことを書いても、なにかよ   いことを見つけたい。新しい記憶を作りたい、と思っている。でも、今   はだめだ。どうしてだろう。美しい答をさがすことに、一生懸命になれ   ないのは、どうしてだろう。 車の周囲を歩くことに飽きて、部屋に戻った。四時を過ぎていた。誰かにそ ばにいてほしいと思わなかった。ずいぶんと楽になっているような気がした が、眠気が強くなっただけかも知れない。横になることはできなかった。ベ ッドに座って、壁にもたれて、眠った。

*丹田亮子さんと福島敦子さんによる二人の同人誌「Konoya6」より。今回は丹田さんの詩を紹介します。
 僕はとても笑ってしまいました。「よいことを書きたい」という言葉は、ふと切実で、悲しい。
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