降り始めた夜の雨 下前 幸一
暮れかけた扉の ひとときの逡巡に僕はいる 足早に行き交う時刻の 草の葉のほとりで 僕たちの記憶は寂れていく 移ろいは繁く 影さえも残さない どのような言葉を僕は どのような場所に置けばよかったのだろう 見つけられなかった痛みのために 沈んでしまった沈黙のために 見通しの効かないカーブに 降り始めた夜の雨 『こんなにも辺鄙な場所に、私はいます』 訪れる人もなく 二度と繰り返すことのできない場所の 読み取れない光速の伝達 深い、狭い井戸の底では 井の中の理解はひんやりと濡れていて 君はうつむいたまま語らない 確定できない感情の波間に、今僕はいて いろんなことがままならないのだ 忘れていくのは僕自身 消されていくのは僕自身の影 いろんなものがこの手を滑り落ちた わずかな印のように 赤いテールが思いを流れていく 濡れた蛙の物思いを 窒息する世界の 無重力の悲しみを 草葉の君を 循環する思考を その破れの方位へと ふと立ち止まれば ゆるやかに忍び寄ってくる 降り始めた夜の雨は ひっそりと沈黙を濡らしている