詩集「冬の公園でベンチに
寝転んでいると」 近藤久也 著
椀
椀を持って
食べながら
何故まるいのか
気になりだした
汁をつぐと
気持ちのやわらぎを感じる
これは確かに私の汁ですと
きわどい満足が湯気のように立ち上る
四角いものを想ってみると
いかにも持ちづらい
親しく口もつけづらい
深さや量が気にかかる
施される場合にだって
頭上におずおずと差し出したその器が
強欲だと思われそう
書き始めた頃ある先輩が
茶碗の縁という詩を書いていた
今私の手元にはないけれど
茶碗の縁からおりることもできずただ
縁をぐるぐる歩き続ける
見上げても青い空ばかり
そんなことだった
四角いものを想ってみると
角のところにくると
怪しいことを考えてしまいそう
縁はひょっとすると
淵ではなかったか
淵を字引でひくと
容易に抜け出せないような境遇ともあった
途方もない力
いつごろからか
釣りは夜行くようになった
井伏鱒二の文章に
釣りをするときは
山川草木に融け込まねばならない
そう佐藤垢石に教わったと書いてある
自らの姿を風景に融け込ませるとは
至難の業だが
夜の闇にまぎれることはできる
盆には釣りに行くな
そう言う人もいるが
かまわず夜出かける
赤くぽつんと電子ウキが
潮に漂っている
近づいては遠ざかっていく
それは闇にまぎれて釣っている
自らの魂のようにみえてくる
夜の風景に融け込もうとしても
魂までは隠しようもない
盆には先祖の魂が帰ってくるというが
自らの魂は夜風と闇にまぎれて
こうして今を漂泊してるにちがいない
そうしてそいつが唐突に
途方もない力で
もっともっと暗い所に引き込まれるのを
今か今かと待っている
詩集「冬の公園でベンチに寝転んでいると」
発行 思潮社 東京都新宿区市谷砂土原町3-15
随筆的な詩だと思う。言葉の流れがひょうひょうとしていて、妙に突っ張ったり、とがったりしていません。その分、読む方も、変な気構えなくいられて、とても心地よい。
と、気を抜いていると、途方もない力で、すっと暗い所に引き込まれてしまうのです。 こわい、こわい。