幻の樹が…
              下前幸一



日がかげっていく
十月半ばの能勢の畦
夕刻の里を
言葉なく僕は見やっている

トラックの傾いた荷台に
くたびれた体
刈り取られた田んぼに
草と土の匂いが流れている

二〇〇九年
暮れていく風景の佇みに

微かな痛みが疼くのは
僕の中のどこか
赤錆びた波間にまぎれた
場所ではないどこか

佇み躊躇する何か
僕の中のどこかを
しきりに行き交う薄い影
拡散するさざなみ

強制執行の
収用された朝

蹂躙された営みと
閉鎖された視界
今はない菜園の記憶に
めまいのようなとまどいが
ただ茫漠と広がっている

立ち入り禁止区域に立ち尽くす
枝葉を剥ぎ取られたご神木の
軍手にくびられた沈黙が
音もなくざわめく

伐採された視界には
聳え立つ橋脚と
工事用フェンス
ただコンクリートの時間だけ

二〇〇九年
寂れていく記憶の佇みに

僕は見ている
山陰にうずくまり
やがて忘却の縁に飲まれていく
追憶の熾き
トラックの荷台の
今という足場に僕はいて
微かな疼きを見ている

ただ茫漠と
とりとめもない現在の
痩せた記憶の荒地に
僕は見ている
吹きさらしの悲しみに浮かぶ
透明の樹木を

僕は見ている 
田の所々に立ち並ぶ
稲わらロール
能勢の里の夕景を
暮れ落ちた田に明滅する
場のこころざし
そこから連なって
やがて芽生えようとする
夕闇のビジョン

稲わらの重量に
傾いたトラックの荷台から
言葉なく僕は問いかける
現在という場の突堤
僕という現実に

僕の視界に今
幻の樹が立っている


 ※ 能勢農場が中心になって推し進める循環型の畜産ビジョン。米農家から回収した稲わらを粗飼料に、おからなど地場の自給飼料で牛を育て、牛糞の堆肥を田に戻すという循環を基本にする。安価な輸入穀物を飼料にすることによってなりたつ現在の畜産に対して、異を唱える。