詩集「窓とホオズキと」 田中郁子 著


沈黙

わたしはみどりと黄の しまもように橙色の斑点をもつ
蝶の幼虫を飼ったことがある
パセリの茎にしがみついたまま草を食べ沈黙を食べ
膨らんでいくものを空きビンに入れた
何日かたったある日
そりかえった形のさなぎになったが
ついに 羽化することはなかった
さなぎはしぼみ底にまるい糞とちゃいろの液がたまった
液の色がわたしの眼にそのまま映った

だれも住まないと 話すこともなかった
池の水とさんしょうの葉がひかった

わたしは物置の片隅にはりめぐらされた蜘蛛の糸に
捕らえられ喰べられていく
一匹の蝶をじっと見ていたことがある
狂い羽ばたくが やがて一枚の黄の紙切れになり
わたしの眼のなかですこし揺れた

だれも住まないと 話すこともなかったが
ちいさな窓あかりが わたしの輪郭を照らしていた



窓とホオズキと

あおい部屋に入ると
カラスの鳴く声が体にひびく
じっと耳を傾けている
嗅ぎつけた腐肉を貪るクチバシが
はげしく奪い合う叫び 間をおいてひと声叫び
どこかへ飛び去ったのであろう気配の中
雪が降りしきる窓がある
ひとりだけとり残されてしまったかのような
閉ぎされた静けさを感じている
いくどめかの冬がやってきたのだと思う
窓から正面の畑をみる
ふんわり雪におおわれた野菜畑は
あいまいになっている
それでもキャベツの畝は
わずかな葉先の色でわかる
キラキラと雪が眩しい窓になると
また あのホオズキに近づく時がきたのだと思う
土を耕した者は生きている者も死んだ者も幼くなって
冬のホオズキに間に合わなければならない
立ち枯れた茎に繊維ばかりの網目から
透けてみえるあかい実の
基のあなから中身をしぼりだし
種ごと液を飲み込んで
外皮を鳴らして遊ぶのだ
手まねくとたくさんの手が手まねいている
死んだ母や祖母や曾祖母とうっすら向き合って
死んだ父や祖父や曾祖父とうっすら向き合って
口を合わせて鳴らすのだ
甘い苦い味を唇にふるわせて遊ぶのだ
いっしょに口をあけ前歯でかんで鳴らし
いっしょに口をあけ奥歯でかんで鳴らし
歌のように歌い踊りのように踊る
けれど 誰だろう
アノコノホオズキガヒトツタリナイワと言う
ソウ アノコハ戦死シタカラ間ニ合ワナイノ ソレダカラ
一人分ヨケイニ口ヲアケ一人分ヨケイニ鳴ラスノデスヨ…
ホオズキはいつの時代も灯火の色をして
わたしの耳の底で鳴っている
一人分よけいに鳴っている

詩集「窓とホオズキと」
発行 緑詩社 〒718-0003 新見市高尾2479-5

 筆者は岡山県の過疎の村で農業を営みながら、詩作を続けておられます。
 沈黙を食べている幼虫、ちゃいろの液、一枚の黄の紙切れ。…沈黙をあらわす言葉、沈黙に耐えている言葉、沈黙によりそう言葉。言葉が沈黙に拮抗しうるのは、筆者自らが一個の沈黙であるからだ。