メルトダウンのあとに


セシウムの夜
小さな座卓には
缶詰のおかずと
暖かなごはん

一軒家の灯火(ともしび)
山裾から湧き出る闇が押し包み
僕らは小さく言葉を交わした

かたわらには福島民報
見回りパトロールの人が
ついでに村に10部ほどを配達している

君がここ葛尾村へ移り住んだのは二週間前
避難指示が解除されてすぐのことだ

村にはなにもなく
施錠されたスーパーの
からっぽの店内と
廃屋
解体予定の張り紙と
死んだ自動販売機

医院もない
食堂もない
コンビニも
店屋もない

耳鳴りのような
視界のざわめきの
除染された田畑を占領して
汚染廃棄物の巨大な台地が聳えている

道路際のモニタリングポストは
0・232マイクロシーベルト(※1)

君が働いているのは「せせらぎ荘」
今は風呂だけの無料営業で
食事も宿泊もない
村一番の憩いの場
時給いくらのアルバイト

仮設住宅の被災者支援に通ううちに
葛尾村に惹かれたのだという
自治会長さんに紹介されて
入居した村営団地には人影もなく
まるで時が凍てついたまま

とまどいと
名付けられない思いを胸に沈めたまま
僕らはレンタカーを走らせた
あの方へ

ひと山を越えて
向こう
あの方へ

「ふるさと再興メガソーラー発電所」を過ぎて
封鎖された大熊町
帰宅困難区域を迂回し
禁じられた地帯を迂回し
戻る術もない故郷を迂回し
真っ直ぐな疑問を迂回し
立ち去れない思いを迂回し

あの方へ
僕らは走った

国道6号線

誰もいない
国道沿いの街に
何かがひしめき合っている
打ち捨てられた
ファミリーレストラン
コンビニエンス・ストア
スーペーマーケット
ガソリンスタンド
ホームセンンター
そば屋
営業所

高圧鉄塔が海の方へ続くのは
あれは東京電力福島第一原子力発電所

次第に口が重たくなっていったのは
あれは放射線の
線量計の数値のためか
言葉が自分を恥じていたのか

ホラ!そこが双葉駅
「原子力明るい未来のエネルギー」
撤去された宣伝の看板が掲げられていた
そこが、それ

3・245マイクロシーベルト

このまま通り抜ければ
南相馬市
すぐにも居住制限が解除される街だけれども
「もう、戻りましょうか」

夜の森駅 0・72マイクロシーベルト
人気のない暗い駅舎が
あれからずっと口を噤んだまま

鳴り物入りの収束と避難解除を
広報と新聞とテレビが喧伝し
夏の夜をせき立てていた

うちそとの嘆きと痛みを塗り込めて

「たぶん、戻ってきたのは、数人でしょう
なんにもない、不便なままで
帰れと言われても、誰も帰れない
体育館は小、中二つも新築しているけれども
子どもは5、6人も帰ってくるかどうか

みんなバラバラです
私たちのあとは、この家はどうなるのか」

仮設住宅自治会長の松本さんは
それから
葛尾村をレクリエーション・ゾーンにしたいと
その夢を語った
まるで
言葉が言葉を引きずってくるように

日帰りゾーンと長期滞在ゾーンの畑
牧場と家畜のふれあい
のびのびと体験ができる
子どもたちの森の学校
土の中、腐葉土の中の
微生物や虫たち
森の働き

雨が降り始めた
小雨の中を濡れながら
葛尾村を案内してもらった

キャンプ場の「もりもりランド」
葛尾大尽(かつらおだいじん)屋敷跡
磨崖仏
磯前(いそざき)神社
葛尾大尽墓石群
放置された記念物に人影もなく
除染廃棄物の深緑色の台地が見え隠れしていた

「あれを見ると気が変になりそうだ」

松本さんの立派な
何代もの寂しい家をあとにするとき
忘れてはならないと思った

なにを
私と
私たちは忘れてはならないのだろう

なけなしの希望はいまも
全国に自主避難している
2017年3月末の
災厄が迫っていた(※2)

チェルノブイリよりも無慈悲な
日本の安倍自公政権の
復興という名の棄民

見なし仮設が追い出し部屋に変わる
子どもたちの甲状腺で
細胞が変異する
体のどこかが不調になる
ひとりひとり

「放射能の影響とは考えられません」

セシウム137の半減期は30年
わずか5年半後の
収束したはずの危機が
廃村のような風景にとぐろを巻いていた

移住した君の見ている希望は
どんな形をしているのだろう

祈りはどんな言葉で語られるのだろう
メルトダウンのあとに

※1 大阪では毎時0・05マイクロシーベルトだった
※2 2017年3月末、国と福島県は、福島原発事故によって避難指示区域外から避難した人(いわゆる「自主避難者」)への「応急仮設住宅」「みなし仮設住宅」の無償供与を打ち切った。」