「なんでかなぁ」と思うこと
下前幸一
『なんでかなぁ』と思うこと、やはり子ども(3才10ヶ月)のことになってしまうけれど、例えば朝、バタバタと忙しい朝、扉の鍵を閉めながら、「ちょっとエレベーター呼んどいて!!」、と見ると、さささっと走って、エレベーターの前で「エレベーター!!」と大きな声で呼んでいる。たまにおもちゃを買ってやると、ひととおりいじくったあと、包装のケースのくぼみにビー球をころがして遊んでいる。お風呂で頭を洗うとき、仰向けでお湯を流すと必ずあくびをする。『なんでかなぁ』目にせっけんが入って痛がるので、顔にシャワーをかけながら「はい!ぱちぱちして!!」と言うと、両手を一生懸命ぱちぱちする。『なんでかなぁ』気分を害してすねているとき、立ったまま首が10度ほど傾いている。「あちた(明日)」は過去のこと。昨日のこと、ずっと前のこと。昨日や明日はまだ生まれたばかりで、はっきりと区別されないのかなぁ。『なんでかなぁ』虫が怖い。虫のいそうな草むらが怖い。薄暗い部屋が怖い。プールが怖い。保育園のお友達がバシャバシャ遊んでいる脇で、プールサイドにしがみついている。運動会が怖い。運動会の大きな音楽が怖い。10月最初の運動会では、徒競走で走った後は、ずっと泣いて、ひとりすねていた。マスゲームの行進では、いやいやながら歩いて、首が10度ほど曲がっていた。『なんでかなぁ』運動会のあとはけろっとしてお好み焼きをぱくついていた。今泣いていたこと、悲しみも、一瞬でけろっと蒸発する。
子どもと付き合っていると、意のままにならないことばかり。どうしてこんなことができないのかと、ついつい先回りしてしまう。何とかして「怖くない」ということを教えようとしてしまう。子どもと同じ気持ちにはなれないから、『なんでかなぁ』と思うことばかりだ。なにがそんなに怖いのか、なぜこんなことができないのか、とイライラもしながら、ふと記憶の底の方からゆらゆらと立ち上ってくるのは、自分もまわりが怖いことばかりで、いろんなことができなくて、何かにしがみついていると、先回りしてくれる手があって…という漠然とした、煙のような記憶だ。大人としての固い思い込みの蓋を開けて探ってみれば、とても柔らかい不定形なものに手が届きそうな気がする。忘れていたことを思い出せるような気がする。『なんでかなぁ』の蓋を開けて、覗いてみることができたら。
季刊「なんでやねん」第80号2006秋