東大阪市のとある山すその畑で大豆と人参を作っています。6月には大豆の植え付け、そして8月の末には人参の種まきを行ないました。植え付け、種まきは大勢で賑やかに行なうのですが、畑仕事はむしろその前後のこと。日ごろは少人数で、しかも仕事のあとにしかできないので、なかなか手がまわりません。何年も放置されていた土地だから痩せているのか、水やりの不足やカメムシの被害などもあって、大豆は半分ぐらいは実が入らず、秋風に吹かれています。人参は20センチほどの大きさに育ち、雑草の草引きと間引きが忙しい。
配達の仕事を終えて、クルマで15分ほどの畑に向かう。昼間はまだまだ暑いけれども、夕方にはひんやりとしてくる。畑の畝にうずくまって、カリカリと間引きをし、土寄せをしていく。秋の日は早い。瞬く間に、夕闇が忍び寄ってくる。数人で交わす言葉が、ぼんぼりのように淡く発光しているかのようだ。それぞれの沈黙を囲いながら、カリカリと作業を続けていると、思いはいろんな場所を呼び寄せる。例えば、30年も前の三里塚。冷たい冬の人参畑。呼び寄せた場所の、あの時の想いを、カリカリと掘り下げていく。無口に。
無意識のうちに蓋をして、記憶の底の方に沈めてしまった思いが、僕にはたくさんあるような気がする。思い出そうとしてもなかなか思い出せないのだけれども、記憶の底の方をカリカリと触っていると、あるときふと何ものかに触れる。その裂け目から何ものかが吹きだしてくる。今の自分にとってそれが大事なものなのかどうか、よくは分からない。だけれども今の自分をそこに置いてみる、試してみるということは必要なことだろう。きっと何かの理由がそれを呼び寄せたのだから。
山すその畑にて
下前幸一
闇は足元から沸いてくる
音もなく忍び寄り
いつのまにか傍らに佇んでいる
指先の土が崩れる
少しずつこぼれるものを壊さないように
カリカリと僕たちは進んでいった
灰色の時の気配
漠然と拡散した敵意の
かすかなざわめきが肌に触れる
懐かしい音楽の残り香
薄く遠ざかっていく
暮れ落ちた場所に思いは残されて
取り返しのつかない時の傾斜に
間引き人参を重ねていく
寂れた個の記憶を重ねるように
一人一人が闇に溶け込む
土にうずくまる獣の影だ僕たちは
寂しい欠如をほの青く燃やしている
山すそは暗く
夕闇を待ちわびたように
激しくコウモリが飛び交っていた
そして静かさだけが四方から
薄っぺらな僕たちの沈黙を押し包む
言葉の方へ励ましている
見ることは沈むこと
深く静かに退くことだ
山すその畑から
街はぼんやりとかすみ
白く輝いている
僕たちはそれぞれの思考を
カリカリと土に混ぜ合わせ
退いていく最後の時に試している